はスプーンを曲げない――かのアインシュタインがもし超能力の研究に着手していたなら、そんな台詞を吐いていたに違いない。
 70年代後半にあのユリ・ゲラーがブラウン管を通し、お茶の間を賑わして以来、今でも尚、超能力に対する僕たちの興味は尽きることがないようだ。現在では、在野の研究家は云うに及ばず、ノーベル賞受賞者であるブライアン・ジョセフソンをはじめとする、第一級の科学者の中にも超能力に関心を持つ人々が増え初めている。常にキワモノ的な扱いでアカデミズムの外に押しやられてきた超能力現象だが、ようやくここにきて市民権らしきもの得てきてるということか。

 さて、世間一般では、超能力を人類の意識進化の予兆として目する人たちがとても多い。それは芸術家とて例外ではない。例えば、ロシアの映像作家A・タルコフスキーの『ストーカー』という作品の中では、ラストシーンで、主人公の娘がPK(念動)でテーブルの上のグラスを落として割る場面がある。タルコフスキーは、この作品で、途中、現代文明の絶望的な閉塞状況が延々と描写していくのだが、最後に次世代の人類に一縷の希望を託す意味で、このシーンを登場させている(と思う)。つまり、タルコフスキーの中では来るべき人類の変容がこの超常的な力の中にシンボライズされているというわけだ。90年代に聖者として名高いあのサイババも空中から仏像を出すことで一躍有名になった。つまり、超能力の存在を信じる人々の間では、超能力を操る人=霊格が高い人=人類のさらなる進化の途上にある人、という暗黙の了解があるということだ。

 しかし、僕自身はこういった考えにはとても馴染めない。理由は実に単純だ。PK、テレパシー、RV、テレポートと、どれを取ってみても、これらの能力には存在意義というものがない。例えばテレパシーについて考えてみよう。通説どおり、テレパシーがもし発話行為なしに第三者とのコミュニケーションを可能にする能力だとするならば、心の中に相手の思念や思考がダイレクトにすべて伝達されてくるのだから、そこでは自己と他者を区別する術がない。そうなれば、そこで起きていることはもはやコミュニケーションと呼べる類いのものではないとすぐに想像がつく。自己同一化、主体からの解放こそが意識進化における一つのプロセスだと反論するのは簡単だが、主体性の消滅には当然、二つの類型があるだろう。

 テレパシーに限らず、超能力全般の特徴は、耳なしで聞き、口なしで喋り、手なしで動かし、目なしで見るという身体性の放棄である。念じるだけでスプーンを曲げたり、瞬間的に外国へテレポートするといったプロセスには、身体も、行為も存在していない。超能力の実現によって思い起こされる情景は、飛行機で短時間のうちに遠距離を移動したり、携帯電話で友人を呼び出したりすることと表面上は何の変わりもない。これらは極めて近代的な欲望の実現化であり、この物質文明を押し進めてきた原動力のベクトルと何ら変わるところがない。事実、近代のテクノロジーの歴史は通信技術にしろ輸送技術にしろ、ESP的技能を機械によって代替えしてきたような性格を持っている。機械の変わりに自前の感官でやったところで何が変わるというものでもないだろう。

 自分が達成しようとする目的とそのための行為との間に、自分以外の何人の意志をも一切介在させない………、このような特徴を持つ超能力の向こうに見え隠れするのは、肥満化したエゴの領土化の運動以外の何物でもない。そして、実際、この傾向が過度に達すると、科学テクノロジーか戦争の道具として絶えず死を量産させてきたのと同様、超能力もまた極めて血なまぐさい殺戮行為の道具としてイメージされることになる。昔ネタで申し訳ないが、D・クローネンバーグの「スキャナーズ」や飯田譲治の「ナイトヘッド」では、未来世界の覇権をめぐって超能力者同志のサイキック戦争が描かれ、ここではやはり超能力がとてつもない超ウルトラ暴力に変貌していた。

 イエスのように死者を蘇らせるもよし、空海のように雨を降らせるもよし、サイババのように空中から仏像を引き出すのもよし、しかし、そんなものが人間の精神を一体どうやって救済してくれると云うんだい………。ヌース理論からサイキックに対して一言言わせてもらうとするならば、――それは人間精神の奇形〈サイフリークス〉である――と言える。 超能力が万人に秘められた潜在能力であり、それが開花していくことが霊的進化のプログラムの一環だとする考え方は、実際には進化とは縁もゆかりもないデマゴーグの戯言だと断言しておこう。超能力なんぞに未来はないのだ。(コウセン)

■註………アンドレイ・タルコフスキー/1932-1987。ロシアの映画監督。その作品は詩的な神秘性に満ちている。
代表作に『惑星ソラリス』『鏡』などがある。

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