被造物の空間と創造者の空間の対称性を求めて

3次元の空間概念を解体させる効果的な思考方法を長年模索しているのだけど、その決定打が「奥行き」にあるぞ~と言っても、多くの人はなかなかピンと来てくれないようだ。奥行きを幅と見てしまう勢力はホント強力で、人間の知識の体系自体がそれを元に成り立っているものだから、幅を取ると思考がストップさせられちゃう。
 
多分、「奥行き」とストレートに言わずに、まずは「4次元」という表現を使った方が馴染みがいいのかもしれないね。子供の頃に誰でも一度は「4次元のナゾ」とか言って、四次元に興味を持ったことがあるだろうから。でも、この「4次元」も幅化した3次元の概念に侵食されていて、数学者までが四次元の本質を外している。4次元も幅で考えちゃっているんだよね。
 
4次元というのは「観察されるもの」ではなく、「観察するもの」なんだ。この気づきがとても大事。この差異を踏まえずに、闇雲にただ空間の次元を増やしていっても何の意味もない。4次元というのは空間が精神化している次元なんだ。
 
物理学は現在、時間を第4の次元として考えているけど、この4次元目は「マイナス」の4次元世界なんだよね。なんで時間がマイナスの4次元目として表現されてしまうのかと言うと、本当の4次元がひっくり返っちゃているからと考えるといいと思うよ。つまり、観察化の次元が幅として捉えられてしまっているから。
 
皆んな、時間を直線的に考えているでしょ。それ自体が観察化の次元が幅=延長で見られてしまっているということなんだけど。
 
本来、時間というものは延長ではなく圧縮なんだ。この圧縮を実現しているのが「奥行き」だと思うといいよ。奥行きは潰されているでしょ。そして、この圧縮において流れない時間、つまり、永遠が実現しているわけ。そして、この永遠が精神の力なんだ。これがないと世界なんて存在しないも同然だよ。持続が消えちゃうから。
 
で、圧縮されたこの精神側で実は物質の創造が行われていってるんだね。こんな当たり前のことを皆んな忘れちゃっている。なんで忘れちゃったかというと、自己が他者の奥行きに食われちゃっているからだね。
 
他者の奥行きは幅にしか見えないよね。そこでは精神がダラダラに弛緩し切ってる。それに合わせて世界を見ちゃってるってこと。そこに幅化した時間が生まれていると考えるといいよ。
 
だからね、「奥行きに自らの永遠を感じ取ること」がまずは必要。それが4次元認識のための絶対条件なわけだね。これがない高次元なんてホント無意味だよ。そして、その空間が開いたところから「能動的思考」というものが始まるんだ。それがヌース(創造的知性)。
 
どうだろう。幅と奥行き。被造物の空間と創造者の空間の対称性がなんとなく君にも見えてきたんじゃないかな。真実は極めてシンプルなものなんだ。この対称性がハッキリと見えてくることがOCOTが「認識の完全化」と呼んでいる出来事なんだよね。「入神(精神に入ることの意)」ってやつ。物質と精神の対称性が見えてくる。。
 
ヌーソロジーが素粒子について執拗に語り続けているのも、それがこの対称性を認識していくための最初の地図になっているからなんだ。そして、それがプラトン立体というやつなの。

プラトン立体