古い神と新しい神

選挙がやってくるたびに思うこと。人は集団化すると人ではなくなる。日頃、穏健な人物でも政治的な話となると途端に人相を変えることがある。集団の背後には魔物がいるのだ。その意味で集団とは個の集まりではない。集団とは個が立つ大地の下でうごめいている闇であり、個の前身のごときものなのだ。
 
善き社会とは集団が作り出すものではないことを再確認しておこう。善き社会とは自立した個の連帯としてしかやってこない。だからこそ、人は自分自身の内へと向かう義務があるのだ。内を顧みずただ集団へと向かうとき人は必ず絶望し、その絶望が集団の闇をより深いものへと変えていく。
 
人間が受動的存在でいる限り、人間は創造の神が残したoneness=愛に縛られている。集団とは言ってみればこの死骸化した愛=onenessに息づく神の死霊なのだ。そこには生成の愛は存在しておらず、むしろ真逆のものが生きている。人は決してこの存在論的な不文律を忘れてはならない。

population