8月 9 2017
再度「世界を裏返す」ということの意味合いについての確認を!!
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幅の思考によってイメージされている世界、及び、そこから派生しているすべての意識状態。とりあえず、これを「人間」と考える。
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奥行きの思考を進めていくに当たって、まず最初の難関は幅と奥行きの差異をうまく見出せるかどうか、という点。幅は延長だが、奥行きは持続。この差異の発見自体が反転世界への入り口を意味している。この発見が起こると、今まで主体と客体と思っていた位置が入れ替わる。このことを「位置の交換」という。
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次の難所は、今まで自分を外から取り囲んでいた空間をいかにして内側に畳み込む感覚を作り出すかということ。この調整によって、非局所的一点が目の前に現れる。この作業のことを「位置の等化」という。
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次に「位置の等化」においてイメージされてくる非局所的球体を一本の線分の認識へと変え、今度はその線分の集まりが作り出している球空間をイメージしていく。ここに出現してくる球空間を「球精神」と呼び、この球精神が認識に形成された状態のことを「位置の変換」という。
時空認識(位置が存在しない)→位置の交換→位置の等化→位置の変換という、これら三段階の反転のプロセスによって、反転世界全体への向き付けは完了し、そこから世界は裏返りの広大な領域を向き付けを変えたその当の意識の先に開いてくる。
これは物質の内側から世界を見ると、世界はどのようなものとして見えるかということと同じことを言っている。そのような反-世界が本当に存在している。これは信じる-信じないの問題ではなく、思考の在り方の問題。そして、その思考に触発されて生じてくる空間感情の問題。
非局所的思考(持続空間の思考)が今までは閉ざされていたというだけのこと。
反転においては思考(反-思考)が感覚や感情(反感覚、反感情)をリードしていく。これはヌースが先手だということの本意。
(人間の場合は常に感覚や感情が先行している、というより、それが定めになっている)
と言って、幅の思考の世界を否定するものではないので、その点は十分、注意を払ってほしい。
奥行きによる思考を行う意識体を自分の分身として根気強く育てていくということ。それによって、幅の世界で生きる「わたし」と、奥行きの世界で生きる「未知なる主体」との関係の中に、「わたし」という現象自体が生まれていることが、はっきりと分かってくる。その両性具有感覚を呼び覚ましていくことが重要。
下イラストはhttp://giveahand.ru/?k=mobiusより借用させていただきました。
8月 16 2017
今こそ、新しい〈知識(グノーシス)〉を!!
前回の〔3〕で書いた「位置の変換」という概念のフレームワークを簡単に図示すると下図のようになる。
これは持続(精神)が〈物(物質)〉として現前してくる最も根底的な仕組みを表している。ブルーの線が持続、自他の協同によって形作られる球体が〈物〉を表すと思ってもらえばよい。
わたしたちの意識においては、〈物〉は時間と空間の中でしか現前してこないわけだが、持続はSU(2)の編み目を通じて、時間と空間という結果を作り出し、その結果の中で原因の編み目の方を〈物〉として表現する。
ハイデガー風に言うなら、これは「現前するもの」と「現前すること」の一致と言えるだろう。わたしたちは持続空間をこのようにトポロジカルに思考することよって初めて、いかなる媒介や綜合もなしに〈物〉をそれ自らで存在させることができてくる。
実際、このSU(2)は、〈物〉の母胎である陽子や中性子の構成原理になっている。
いや、正確に言うなら、物質の根底にあるこうした構造がわたしたちに意識が生じる条件を与えている、と言ったほうがいい。わたしたちは〈物〉によって〈物〉の方へと誘われている存在なのだ。意識は”そこで”生じている。
わたしたちは今まで霊魂を「目に見えない」ものとしていろいろな言葉で語ってきた。こうした形而上学が常に「悪しき形而上学」で終わってきたのも、その「見えなさ」を単なるイマジネーションの中に思い描こうとしてきたからだろう。
しかし、その「見えなさ」の正体とは、実は奥行きであったということ。そして、それは持続であったということ。そこにはわたしたち自身の生の息づきがあられもない高次の幾何学として地理化されている。
今こそ、新しい〈知識(グノーシス)〉を!!
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: SU(2)