物質は存在しない?

ブーバーがいう〈われ-それ〉というフレームの中で提供されてくる知識群に最近は全く食指が動かなくなってしまった。思考の習慣的な方向をいかに逆転していくか。それも思いつきの一瞥ではなく、整然とした仕方において。〈われ-汝〉が生み出す夢の方向のより一層遠くへ。
 
夢想状態における記憶。森の洩れ陽。水流。通り過ぎる車のリアウィンドウ…。追憶がそのままの状態をとどめる個別的記憶。これらの追憶は一見、時空よりも精神の深みに息づくかのようにも感じるが、実は、時空上に瞬間をもたらす記憶の方がより一層深い。〈われ-汝〉が作る内的時空とはそういうもの。
 
素粒子が世界を巻き込み、世界を繰り広げる原器として働いているとはそういうイメージだ。この反復のイメージの復元は、わたしたちの追憶を生命の第二の記憶へと誘う。純粋思考となった〈われ-汝〉は、そこにおいて渦を巻き、互いの声を響かせ合いながら、その記憶を確認していくことになるだろう。
 
宇宙に物質なんてものは存在しない。人間の文明がすべて精神の記憶であるように、物質的自然のように見えるものもまた、高次の精神の記憶と考えよう。精神は文明の創造とその記憶を経験した後、自然の創造とその記憶の段階へと移行する。まずはそのように精神の可能性のイメージを拡大させること。

精神の記憶