磁場と電場と男と女

光が最終的な精神の位置。それを「光あれ!」と言い放ち、最初の精神としたのが一神教の精神構造。光から出なければ、光を作り出した精神のもとへと歩んでいくことなどできるはずがない。思考とは、その精神へと向かわんとする本能が作り出す。
 
光とはすべてを中和させた精神の痕跡であり、それは絶対無の形象のようなものだ。物質はその中和に現われ出た等化の痕跡と言える。つまり、すべてが消し去られた場所では、すべてを消し去った精神のその行為の集積そのものが「あるもの」として現れ出るのであり、それらの関係そのものが光なのだ。
 
そして、かのOCOTは、そのような光が人間の肉体と結びつく位相のことを「妙性質」と呼んでいる。これは、すべてが中和された場所と、すべてを中和したものとの接点に出現した新たな光の精神の種子と言える。それが「妙(永遠性自体の運動)」を生み出していくのだ。
 
物理学は光の内部に電場の+と-と磁場のNとSという四値的関係を見出した。これは、この「妙」なる存在のフォーメーションを外から見たものだとも言える。根源的な対化が自己と他者であるのなら、人間が自己と他者と呼んでいるものは、存在そのものにおける内部感覚だと考えなくてはならない。
 
光の支配から出た脱-表象化の思考もこうした存在感覚から立ち上がってくる。この思考領域は、等化することが新しい差異となって現れるような世界になる。等化が統合でなく、新しいものの生産になるということ。ヘーゲルの弁証法とは真逆の弁証法。同一化への弁証法ではなく、差異化への弁証法。
 
キアスム的思考の出現は、当然、性愛の常識も変えていく。どこぞの「生産性発言」で注目が集まったLGBTも、性愛本来の形態として当然、存在していなくてはならないもの。今までのヘテロセクシャルへの一方的な偏向の方が異常だったのだと考えよう。世界は二元ではなく四元で活動しているということだ。
 
ちなみに、磁場が女を生み出し、電場が男を生み出している。磁場が付帯質。電場が精神。
 
物理学においても磁場には起源がない(div=0)。これは、磁束線がループ化していることを意味している。つまり円だということ。これが存在の「妙」性を象徴しているものと思われる。つまり、女には起源がない。恐ろしい(笑)
 
男性性と女性性の基本的な位置関係を、最も分かりやすいψのケイブコンパスであえて区分すると下のようになる(下図参照)。男性性は思形として人間の内面を構成し、女性性は感性として人間の外面を構成する。思形は言語・概念を送り出し、感性は知覚を送り出す。精神(元止揚)に方向づけられているのは女性性。

調整質と男と女の関係