12月 14 2018
【重要!!】「円心」という概念について―伝説のキットカット実験
持続空間と量子の関係を思考していく上で、最も重要なのはやっぱり円心という概念だね。ヌーソロジーに関心がある人は、是非、この円心という概念をマスターしてほしい。持続空間の感覚的強度を上げるための、ホント強力な概念だ。とりあえず、円心関係を対象と観察者の関係に当てはめ、図にしてみた(下図参照)
こうして外から見たイメージで、図示するのは全く不正確なんだけれど、う~ん、致し方ない。くれぐれも、君自身が図の観察者の位置に身を投げ入れた感覚で、この図を見て欲しい。頼んまっせ。
円Aの中心点は、普通に、自己中心化した主体の位置と考えていい。
問題は円Bの方。
この円Bは、決して自分の目の前の対象を取り巻いている円を意味しない。
「円心」の定義は、円の中心と円周が相互に反転したもの―のことを言うのだから、円Bは観測者の位置が反転したものだ。
とても大事なところだから、何度も紹介するけど、この円Bは例のO氏夫妻によるキットカット実験(なんかフィラデルフィア実験みたいでカッコいい:笑)の映像が作り出している空間のことだね(下動画)。
で、ヌーソロジーは、奥行きを持続空間と仮定しているわけだから、目の前には、常にこの円Bの空間が存在しているわけ。
でも、君はそれが当たり前すぎて分からなくなってる。普段、空気の存在を忘れているのと同じ。つまり、持続空間なんだから、その空間は君の記憶の容器として働いているってこと。
ベルクソンは記憶の場所を抽象的な円錐モデルで表現したんだけど、それだと単にモデルにすぎず、イデアには結びつけられない。単なる抽象で終わっちゃう。だから、円錐モデルには発展性がなかった。事実、円錐モデルを紹介した『物質と記憶』の後、いきなり生命論の『創造的進化』へとワープしちゃう。
ヌーソロジーの場合は、この記憶の容器となった円Bの方をダイレクトに素粒子と接続させちゃう。それによって、ここから始まる持続空間の構造を素粒子の構造と対比させて、より具体的に持続空間の風景を探っていこうとしているわけだね。ここでは、すでに物質と精神が一致した思考になってることが分かる。こういうのを哲学では「即自」っていう。イデアの思考は即自であることが条件なんだ。
ちなみに、ヌース用語では円Aの空間認識のことを「位置の中和」、円Bのそれを「位置の等化」と呼ぶ。
位置の等化とは、主体と客体の位置が等化されているという意味。位置の中和とは、位置の等化を見えなくさせるという意味。もちろん、今の僕らは後者が先手を取り、前者は無意識に沈んでる。
円Aと円Bの円心関係、少しはイメージできてきただろうか。。
こうして、無意識の主体(持続)は、自分自身を鏡に映すようにして肉体へと反映させているわけだ。そして、そのとき鏡の役割を果たすのが「他者存在」というストーリーになってる。他者とは、僕らに「位置の中和」を与えているものなんだ。
とにかく、ゆっくり考えてみてね。まったく別の世界が徐々に見えてくるようになるから。
12月 17 2018
3次元意識はきっとカットできる
前回紹介したキットカット実験は、その名の通り「君も3次元意識をきっとカットできる」というメッセージでもある(笑)。知覚空間には反転した持続空間が含まれている。だから、単なる延長空間の中でイメージしてはいけない。それを無反省にやってるのが科学的な知覚解釈だと考えよう。
外界の物体に光が当たって、それが目に入って、視覚中枢を刺激して云々~というモデルじゃ、知覚の何たるかなんて絶対に分からないということ。宇宙のリアルに触れたいならば、そういう考え方は絶対にしちゃいけない。
ヌーソロジーが用いる円心概念の本質は「観測者の位置を無限遠点に置く」という考え方で成り立っている。つまり、3次元世界は4次元世界からの射影で成り立っていると考えるということだ。その意味で、3次元世界は「射影された空間」であり、射影しているものを何一つ持っていない。
そして、その射影している最初のものが奥行きなのだ。奥行きは実際、知覚上、点に縮んでいて、幅(実数直線)とは全く違う様相を呈しているのが分かる。それは数学的に言うなら、おそらく実数を切断するものでもあり、かつ、連続させているものにもなっている。連続即不連続の媒介になっているということだ。
射影しているものは、3次元には射影されたものとして現れる。その最初のものが素粒子のスピンと呼ばれているものに対応することになる。それは、収縮した奥行きとしての持続空間なのだ。つまり、僕らの精神そのものであるということ。
素粒子のスピンには右巻きと左巻きがあるという話を君たちも聞いたことがあると思う。これはヌーソロジーから解釈するなら、4次元からの射影の方向が互いに真逆なものがあるということを意味している(4次元空間の向き付けが逆ということ)。それが何かすぐに見当がつくのではないだろうか。そう、他者の奥行きだ。その意味で、素粒子の世界では、自他相互の精神(無意識)が互いに切っても切れない深い交流関係を形作っている。
ところが、時空に縛られた3次元意識では、この交流は全く見えない。致し方ない。時空という場所は持続からは疎外された、無人の砂漠地帯のような世界に等しいからだ。ただし、この物言いには「人間にとって」という但し書きが必要だ。射影する方にとっては、時空は、むしろ、自他間の愛に満ちた世界と言ってよいものになる。射影されたものと射影しているものでは時空を見る意識の方向がまったく逆になっている。
反転した世界―そこには反転した意識を持った、精神としての存在が生きている。彼らにとって、物質とは論理(知性)であると同時に、倫理(愛)でもあるのだ。その想像力を決して失わないこと。そして、それを信仰とするのではなく、自らの思考の中に出現させること。
3次元意識はきっとカットできる。僕たちが奥行きの空間に目覚めさえすれば。
どうでもいいけど、この写真、デカすぎるな。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: 素粒子