「次元の交替化」って何よ?

OCOT情報で一番衝撃を受けたのは「次元の交替化」という概念だった。
 
OCOTの言う「次元」とは普通僕らが使う3次元や4次元といった次元概念とは全く違う。哲学がいう「超越論的なもの」の場所のことだ。表には所与としての人間の経験的な意識あり、その裏にこの所与を与えるところの「次元」がある。
 
そして、面白いのは、この「次元」もまた対化としてあるということ。超越論的なものが二つある・・・? 
 
そんな話は既存のどんな哲学にも出てこない。つまり、OCOTの宇宙論理は徹底して例の「キアスム(交差配列)」で貫かれていて、経験的なものと超越論的なものの関係もまた例外ではないということだ。
 
そして、OCOT情報はこの存在論的とも言えるキアスム構造の中に、人間が自己と他者と呼んでいるものの関係の本質があると言う。要するに、自他間においては、本当は経験的な意識と超越論的な意識の関係が真逆になっていると言うのだ。へっ・・・? それこそレヴィナスも真っ青になる他者論ではないか(笑)。
 
そして、太古の時代にはこのキアスムを自明なものとしてメタ知覚していた意識が存在したのだと言う。それがOCOTのいう「ヒト」という存在だ。そして、ヒトはこの二組の陰陽(次元の対化)の対称性を作り出すための準備段階として、互いが互いに関与する期間を設ける。それが「調整期」と呼ばれる。
 
人間の意識活動は、その調整期なるものにおいて出現している次元の状態であり、調整が終了すれば、そこから、ヒトは、人間の自他それぞれの意識において経験的なものと超越論的なものとして働いていた場所を丸ごと入れ替えていく作業に入る―簡単に言えば、自他の意識の場所を取っ替えるということ。これが「次元の交替化」のあらましだ。
 
いきなり、こんな話を聞かされた日には、ハンマーで頭を殴られた感じ、どころか、首がちぎれる(笑)。
 
まぁ、如是我聞タイプの話なので適当に聞き流してもらってOKだが、とにかく、この「次元の交替化」というビジョン、古代宗教や神秘学、哲学や物理学の中にいろいろとその痕跡を探してきたのだが、単なるトンデモで片付けるには実に惜しい。ハイデガーの言うように、存在は隠れたり、現れ出たりして、営々と流転しているように感じる。
 
ヌーソロジーが展開している幅(他者)と奥行き(自己)の空間論は、そうした流転する「次元」の風景の地平を何とか自分の意識に顕在化させたいがために建築しているようなものだ。
 
この建築は再生に近いものだが、「夜の時代にあってすでに立ち去り、いまだ還らない神々を回想する」ための思索の作業とも言えるだろう。

次元の交替化