うわべ即中身、中身即うわべ

今日はヌースアカデメイアのサイトリニューアル作業で一日がつぶれた。外は雪が降ってるし、寒いから、まっ、いいか。しかし、まだ、かなりの分量があるわい。今週はこれにかかりっきりやな——。

今回のサイトのリニューアルの目玉は何と言ってもQuickTimeの導入。Shadeで作ったNC-CubeとNCジェネレーターの3Dアニメーションを何とか組み込みたいのだが、果たしてうまくUPできるのか。アニメーションはデータ量を食うから、あまり多用できないけど、できれば、ヌース理論の解説のページにもビシバシ入れていきたいなぁ。

ヌース理論というはのっけから四次元の話で始まる。三次元には実はオモテとウラがある、とか、あなたのいるところは無限遠点です。とか。四次元とは認識の場所だ。とか。。。このへんの内容がそれなりに突破できないと、ヌース理論はおそらく世界で最もぶっとんだトンデモ理論に聞こえてくるかもしれない。事実、去年、大阪でやった講演では、あまりの訳の分からなさに、始まって5分で寝た人が2人いたっけ。あは。

 うーむ、何とかならんものか。。。入り口だけでも何とか強度を持たせんと、ヌース理論のメジャー化は望むべくもない。しかし、幾何学的な話を退屈させずに伝えるのは本当に難しいのよ。やってみたら分かる。それが四次元の幾何学となると尚更なのよね。レクチャーではなるべく神秘主義の話や神話の話を交えながら、物語性を加味して、高次元幾何学で表される意識の理論になんやかんやゴタクを並べながら解説を加えていくのだが、ギミックに偏りすぎてもヌース理論ではなくなってしまう。ヌースの良さは、今までオカルティックな知識としてしか表現しようがなかったことを、あからさまに幾何学的な認識を持って知性の空間上に展開してみせること。だから、聞く人たちにそれなりのクラルテをつかんでもらえないと意味がない。………ヌース理論と既存のオカルティズムの違いはここにある。

 まぁ、いろいろ表現を工夫したとして、どのみち喜ばれるのも最初のうちだけだろう。目新しさがなくなれば、またも四次元思考という同じカベがたちはだかる。何事でもそうだが、機材に頼りすぎると、ろくな事はないのよね。有能なミュージシャンはたとえアコギ一本のバックでも聴衆をうならせる。あれと同じなんだよな。有能な理論家はマーカーとホワイトボードだけで、聴衆の思考をガタガタに狂わせ、そのときに溢れ出る意識の蜜の味を忘れられなくなるようにさせんとあかんのじゃい。。学校の先生がよくやる手段——退屈な授業内容をギャグで目先をごまかしながら進む、というのだけは避けるベシ。避けるベシ。。ヌース理論そのものが禁断の木の実の魅力を持たんと何の意味もないんじゃ。。。カッコよさも大事。中身も大事。うわべは中身。中身はうわべ。やっぱ、ここは両方を等化して突き進むしかなかばい。。。