ウロボロス

 今日の来客は阿蘇在住のN氏。彼はわたしの古くからの友人である。

彼とは15年ほど前、英会話の学校で知り合った。当時、N氏はまだ学生で、全身をISSEY MIYAKEで包み、ときにレザージャケットとレザーパンツでバイクを乗り回すシティ派のライダーだった。好きなアーティストはデビット・シルビアンとマービン・ゲイ。おっ、なかなかいいセンスじゃん、ということで、音楽の話題から意気投合し、いつのまにかわたしを兄貴分のように慕うようになっていた。当時のわたしは兄の手伝いをしながら細々と生計を立てていたが、若気の至りというか、世界を変えてやる!!という野望に満ちていた。兄の会社が倒産に追い込まれたときに、行き場を失い、世界革命の手始めに「beggers banquet」というお好み焼き屋を作ろうと本気で考えていた。革命のために何でお好み焼き屋なの?——今ではよく理由は分からない(笑)。おそらく、ホットなジョイントスポットを作って、そこにアートやらニューサイエンスやらニューエイジの勢力を結集して、従来とは違ったカルチャーの発信源にしようと考えたのだろう。。その夢を若かりし頃のN氏に語ると、彼もまたわたしの話に多いに刺激を受け、大学を即、自主退学、お好み焼きのノウハウを学ぶために大手のお好み焼き屋のバイトに入った。

 本当に気持ちがストレートな若者だった。ところが資金面の都合でお好み焼き計画は暗礁に乗り上げ、可哀想なことに、彼だけがそのお好み焼き屋チェーン店に一人取り残されることになった。もともとガッツのある奴なので、N氏はそのままその会社で出世街道を上り詰め、若干24歳で数件の店を任される外食産業の経営者となった。その職場で一体彼が何を経験したのかは詳しくは知らない。二人の歩む道が分かれた後も近況報告がてら、たまに顔を合わせてはいたが、当時、奴は仕立てのいいダブルのスーツを着込み、完全にマネーの虎になり切っていた。

 ところがである。あるとき、突然、地位も将来の保証もすべて捨てて阿蘇へと移住した。何でも「農」に目覚め、食の革命こそが真の革命につながると思い立ったようなのだ。あれよあれよと言う間に、自給自足の生活計画を立て、都会的な生活のすべてを捨て去って、彼を慕う女性と二人、阿蘇の原野へと移り住んだのである。これが今から11年前のこと。

 と、まぁ、N氏の大ざっぱなプロフィールを紹介したが、現在、彼はライフワークとなった「農」と共に写真をやっている。数年前に写真家の森山大造さんに認められ、大きなコンテストで賞を取り、現在ではプロの写真家としても活動している。全国ネットのTVなどでも彼のライフスタイルは番組ネタとして放映されており、それなりに頑張っているようだ。そんな彼が新しいスタイルの写真を撮ったから見てくれ、という。何でも次のコンテストでグランプリを狙いたいというのだ。ただタイトルが決まらない。何かいい知恵はないか、と相談にやってきた。

 EPSONのマット紙にプリントアウトされた60枚ほどの写真は、確かに、彼の新境地だった。今までの彼の写真は阿蘇の大自然と、愛妻と一人息子との家族仲睦まじい生活風景がほとんどを占めていた。都会であくせく働く都市生活者にとっては、ある種憧れを持つライフスタイルではある。彼自身も当然、そうした脱-都会イメージを自分の売りにしていたところがあったが、今回の作風はガラリと変わっていた。一言で言えば、自然に潜む闇、とも言える作品群である。
ナチュラリストの彼にしてはまた違ったテイストである。本人は森山大道氏やアラーキーに大きな影響を受けたと言っているが、わたしが見たところ、かの先達たちよりも、もっと立ち位置が繊細な感じを受けた。単に打ち捨てられたものたちの悲哀や、荒廃に立ち上がるアウラをキャッチしようとしたものではなかった。そこには光と闇の境界を巡るガラス細工のような繊細な情景があった。その情景の中には都市でも自然でもない場所に向かって直立している異空間があるように見えた。一瞬の切り取りではなく、永遠の切り取り。止まった永遠ではなく、生きている永遠。美でもなく醜でもなく、限りなく人間的なものと、限りなく非人間的なものがせめぎ合う異邦の場所、そして、そこに響く精霊たちの笑い声と泣き声。トワイライトに立ち上がる意識と無意識の間の波打ち際。そのさざ波が聞こえてくるようなカオスモスの音楽。たぶん、意図的だろうと思うが、彼の作品群の撮影時間もすべて明け方か夕暮れ時になっている。………彼の心象風景も大きく変わったものだ。写真には作家の心象があますとこなく撮影されるという。
その意味で言えば、彼の中に今まであった自然への礼賛や、かくあるべき理想的家族の幻想、さらには、生きることに対する力みは、遠く過去のものとして消え去ったかのようだ。何か大きな出来事が彼の中に起こったに違いない。(だから、コンテストのグランプリなんて狙うなよ。ぶつぶつ。)

 「始まりと終わりの接点を見つけたのかもしれないね。もしこの写真集が僕の作品なら、タイトルは”ウロボロス”にするな。」最後にわたしはそうつけ加えた。「収穫あったよ、半田さん。さんきゅー。」と言ってN氏は帰っていった。