バタフライ-エフェクト

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広告制作の仕事を終えて、久々のDVD鑑賞。今日は「バタフライ-エフェクト」というやつを選んできた。

タイトルになっている「バタフライ-エフェクト」とというのは、本来は、カオス理論から出た言葉で、初期条件のわずかな違いが挙動の大きな違いを生み,その予測が困難化する現象のことをいう。その法則性を発見した気象学者のローレンツが「ブラジルで蝶が羽ばたくとテキサスで大竜巻が起こるか?」と講演の中で語ったことから有名になった言葉だ(その変化を図で表すとローレンツ・アトラクターと呼ばれる蝶々の羽のような形になることからの由来とする説もある)。
まあ、タイトルに惹かれてついつい借りて見たのだが、全く先が読めないという意味では、かなり面白い作品だった。ネタバレになるので、ストーリーの詳細は省くが、簡単に言えば、「あのときああしていれば、今はこうだったに違いない」という過去修正もののSFスリラーサスペンスものと思ってもらえばいい。
 
 面白いなと思ったのは、途中、この物語自体の時系列というか、主体軸(語り手の位置)が完全に溶け去ってしまうところだ。過去が変更される度に主人公の現在も大きく様変わりして行く。変更すればするほど、現在は惨憺たるものになっていくのだが。最後の方ではどこが物語の原点としての時系列だったのかがよく分からなくなってしまうのだ。これはなかなかの快感である。。おっと、喋り過ぎ。とにかく、見ている間、一体、このストーリーをどうやって落とすのかが気になってくるのだが、意外にも、なかなか渋めのエンディングだった。個々の細かい部分にはいろいろと文句を言いたい部分もあるが、タイムトラベルもののアイデアとしては極めて斬新。原作者はエライ。DVDで借りて観て損はない作品である。

 ヌース的にはどうかというと、もちろんなってない(笑)。時間についてちょっと一言。僕らは、時間を空間と一緒であまりに客体的に見すぎている。もちろん、「今,ここ,永遠」というお決まりのニューエイジ的無時間論もアリだが、そこに一気に跳ぶ前に「主体の秘めたる時間」というものもじっくりイメージしてみるのも面白い。

 主体の秘めたる時間。それはささやかな反抗を持っている。というのも、このささやかな歴史の中では、過去は必ず未来からやってくるからだ。何も難しいことを言ってるのではない。たとえば、僕は6歳の頃、日本が戦争で負けたことなど知らなかった。いや、僕が日本人であるということすら知らなかった。僕が使っている言葉が日本語であるということも、そして、父と母が愛し合って僕が生まれたということも知らなかった。日本や父と母との出会いは、この世界に生まれて来た後で知ったのである。このように、主体の時間の中では、過去というものは、必ず未来からやってくる他者によって告げ知らされる。その意味で、歴史というもの、もっと言えば、過去という概念の詳細は、主体の中で開示されていく主体自身の未来の中に育っていくものでもあるのだ。

 おそらく、まだ多くの過去がやがてやってくる未来の中で眠っていることだろう。この未来の中に眠る過去が、過去の中に眠る未来と出会うとき、時間は本当の意味で終わりを告げることになる。さぁ、向こうからやってくる一人の美しい女性を見るといい。僕らは、やがて未来のある日に、彼女の過去の全貌を露にすることになるだろう。そうした結ぼれが聖なる結婚というものだ。