双対性の思考

 不連続的差異論のページで、Kaisetsu of ODA ウォッチャーズ氏から手厳しい批判を受けている。こうした正当な批判はまことに喜ばしい。批判に耐え得る理論になんとか育てていきたいものだ。

不連続的差異論のサイト/ヌース理論と新プラトン・シナジー理論から、四次元空間を考察する
 
■イデア界と双対性の思考
Kaisetsu of ODA ウォッチャーズ氏のお考えに賛同いたします。A=非Aという無のトポスの論理。これは華厳の『一即多/多即一』や真言密教の『重々帝網(即身)』などとも通じる概念だと思いますが、同一性の原理においては矛盾としか映らない言明をあるがままに調和に導いていく、こうした論理を貫く原理が双対性なのだろうと考えています。双対性の思考においては、〈A-非A〉という二項対立の図式の真の姿は、A^2/非A^2という「二乗項」よりなる対立のように見えます。A/非A*、A*/非Aという形で4値化(複素化)を決行することによって、捻れの関係の中で、そのままの姿で両立させ得るのではないかと考えています。アンチ・オイディプス風に言えば、双子のノンモですね。ひとりの双子であり、あるいは二人の双子、あるいはそれ自身において結びついているひとりの双子の語らいを取り戻すこと。そこに活路があるのではないかと。。。

 こうした視点に着目したのがストロースやラカンの構造主義だと思いますが、構造主義の物足りなさは、構造を単なるモデルとしての抽象に止めている部分です。モデル化に止まる限り、それは不連続的差異の黄金比的運動を呼び覚ますには不十分です。伝統的な東洋思想においても事情は同じに思われます。思考は実在に対する人間の反動的意識に逆い、この立ち入り不能とされていた領域に「あからさまな描像」として介入すべきであり、そこに新しい身体像を構築することが必要だと考えています。イデアの顕在化が「倫理」と関われるのも、イデア自体の成立基盤に自他存在に起因するこうした双対関係が深くセットされているからではないでしょうか。ヌース理論が量子世界と4次元空間の描像に執拗にこだわりを持っているのも、そのへんの理由からです。