丸まった前の空間

ツイッターで何気につぶやいた「丸まった前の空間」の話が意外に受けがよかったので、今日はその続きを少し補足。。

【前回分】
後ろの空間と前の空間の間に空けられた窓。それが視界だと考えよう。そして、その場でグルっと回ってみる。後ろに想像されている広大な空間の中に前の空間が丸まっているのを感じられるようになればOK。それが君の魂である。嘘は言わない。丸まって感じることができていればの話だが。。

丸まって感じることができた人は今まで点と呼ばれていたものを球面に変えることができた人。物質と精神の境界を発見することができた人。闇と光の境界を発見することができた人。死と生の境界を発見することができた人である。たぶん、冗談抜きで。

——アヌビスは水平な円であり、これにより「目に見えないもの」、すなわちネフテュスと、「目に見えるもの」、すなわちイシスが分割される。この円は光と闇の境界に存在し、光と闇に共有されている—— プルタルコス

【本日分】
後ろの空間と「丸まった前の空間」の違いを感じた人は「こころを発見した人」と言えます。そういう人たちは、自分がぐるりと回ったときに、後ろの広大な空間に包み込まれた「前の丸まった空間」を感じ取ることができるはずです。わたしたちが普通、外の世界と呼んでいるものは実は後ろの空間なのです。

この外の世界の中で、「前の丸まった空間」がどういうふうに見えているかというと、小さな小さな粒のように現れています。昔の日本人はこのことを知っていました。だから心のことをココロ、小さな粒(コロ)と呼ぶのです。

物理学が素粒子と呼んでいるものは、この心が作っているネットワークのことと思って下さい。外の世界の延長としてこのココロの中に入ることはできません。物理学は外の世界の概念しか持っていないので、この領域は不確定性領域などと言って難しく語られてしまうのです。

ココロは外の世界で表現されると波動になります。ココロの世界を井型で取り囲んでその井型を直線で延ばしたものが時間と空間と呼ばれている世界です。こうした延長性でココロを表現しようとすると、ココロはこの直線上を文字通りコロコロと転がっていくものとして表現されます。この転がりが波動です。

波動として現れたココロに敢えて意味付けをするとすれば、それはココロが外の世界に翻弄されているとも言えるでしょう。今の人間の空間認識では前と後ろの区別ができていないのですから、当然のことです。

さて、この「前の丸まった空間=ココロ」ですが、ここは永遠の世界です。時間や空間はすべて後ろの世界のネットワークが作り出しているもので、「前の丸まった空間」の中には存在していません。

まもなく人間の思考はこの「前の丸まった空間」の中をフランチャイズとして働き始めると思います。「光の箱舟」の発進が始まります。今まで人間が死と呼んでいたものが開き始めるということだろうと思っています。

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