無性、響き、銀河、そして死者の復活

経済、政治はもとからなのだけど、最近は、科学や哲学にもあまり面白みを感じなくなってきた。長い時代、人間を支配してきた男の語りの時代が収束に向かっている感じがする。では、女の語りとは何かということになるのだが、女は語らない。語るのは”無性”の主体ということになるのだろう。
 
無性の主体の語りは人間世界においては詩として機能していた。しかし、今までの詩は自分自身の文法に自覚的ではなかった。詩の目覚めが起ころうとしている。ロゴスが自らの無限を超えゆくとき、詩は自分を動かしていた文法を一つの崇高な幾何学として表現し始める。
 
っと、そこで、詩人の行雲流水さんのツイートが目に止まる。
 
旅館の部屋に「響」の書があった
音の故郷 音のが響く空間 つまりは
全宇宙空間は 響きで括られたモナド
音は無形で無境界でありながらも
その各特質を 明確に主張する性質
宇宙は音ナーダブラフマー
音楽では無い
 
なるほど。音の郷(ふるさと)と書いて「響く」か。「響く」はもちろん「霊引く」でもあり、音は日の上に立つ者でもあるのだろうから、響きは内なる他者存在がなびかせている自己への呼びかけの声のようなものとも言えるのだろう。他者の地球は一歩先に進んでいるもとの地球。そして、その地の住人が作り出す星々の響き。
 
幅に支配された意識の世界では星々は巨大な核融合炉にしか見えないが、奥行きの世界ではそれらは全く違うものだ。それらはおそらくわたしたち一人一人の中に息づく持続を高次の空間の中で取りまとめている精神活動のようなものになっている。だから銀河は地上と重なり合っているとも言える。言わば、星たちの生きる銀河とは高次の大地のようなものなのだ。
 
幅の意識がどれほど宇宙の真実相を歪めて見せているか。多くの人が奥行きの空間に気づき出せば、それは徐々に分かってくるのではないかと思う。そのときには神秘主義という言葉は死語になるだろう。
 
表現されたものたちの世界から表現するものたちの世界へ。まずは、この移行に意識的になること。それらの原初の起源は今君の目の前にある幅と奥行きとの差異にある。これから、またその十字架が稼働を開始する。選択はもちろん自由。ただし、両方を持ち合わせているのは奥行きだということ。
 
奥行きが主導権を握り、幅が従属側に回ったものが量子力学が扱っている空間だと思うといい。そこでは奥行きと幅は「運動量」と「位置」の固有ベクトルという名で登場している。それはわたしたち自身の実存なのだが、幅支配の世界ではその実存がミクロの中に突き放されて見える。奥行きの拒絶。
 
この拒絶は、すべてを対象化したがる幅意識が持った所有欲のようなものだと考えるといい。この所有欲が働いている限り、人間は存在に溶け込んでいる表現するものたちの世界に入ることはできない。それどころか、逆にそれを「死」と呼称して忌み嫌い続ける。
 
そう。「死」とは量子として再び、この宇宙の根底に溶け込んでいくことを言うわけだ。幅の専制から解放されるという言い方もできるだろう。量子を意識化することができれば、ひょっとすると死を自覚することができるようになるかもしれない。そうなると人間は死んでも死ななくなる、とも言える。これが死者の復活のあらまし。僕にはそう思えてならない。
 
下写真は行雲流水さんのTweetより https://twitter.com/clouddance2020

行雲流水 響