アポスタシスとカタスタシス

アポスタシスとは上へと昇る生成、カタスタシスとは下へと降りる生成。生成の方向には二つある、というのがミソ。自己側と自己から見た他者側の関係と考えよう。これ大事だよ。ハイデガーもドゥルーズもこのへんがはっきりしていないんだよね。
 
アポスタシスだけに目が行くと太陽信仰になってしまう。カタスタシスは星辰信仰。超古代人たちが星辰信仰だったのは、すでにアポスタシスを完了させていたからかもしれないね。両方が見えるのがアポカタスタシスってやつ。万物復興。ソロヴィヨフなんかの考え方だね。
 
シュタイナーが言うエーテル界とアストラル界の関係も、おおよそだけど、このアポ(上行)とカタ(下行)の関係にあると見ていいのではないかと思ってる。カタスタシスが見えないと、地上よりも天上が優れているといったような支配神信仰になってしまうから注意が必要だね。
 
神さまについて想像を巡らすとしても、自己と他者それぞれの意識の位相を最初から区別して考えないと、必ず一神教的神が顔を出してしまう。両者の絶対的差異化はヌース的思考の絶対条件。
 
自己から見た他者世界というのは上次元にある。自己世界は下次元にあるんだけど、それは同時に他者世界の上次元でもあるんだ。存在が作り出すこの無意識の円環の仕組みをすべて見抜くことによって、この地上の万物は初めて霊的調和というものに達するのだと、考えるといいんじゃないかな。
 
だから、「世界は一つ」などと言った物言いは、この円環をすべて踏破した意識が最後の最後に繰り出すセリフであって、下次元側でそれを言っちゃうと、サウロンの指輪をはめるようなもの。だから、「ワンネス」とか、「一つ」なんて気味の悪い言葉は極力、控えよう。

アポスタシスとカタスタシス