人間の先史が作り上げた古代都市について

永遠の現在―ドゥルーズは記憶内容としての記憶の根底に、もっと深い収縮としての記憶があると言う。~~われわれの知覚はそれぞれの瞬間に《記憶された無数の要素》を収縮し、われわれの現在はそれぞれの瞬間にわれわれの過去を無限に収縮する。『ベルクソンの哲学』P.80
 
こうした過去のことを通常の過去と区別して、ドゥルーズは純粋過去と呼ぶ。それは過ぎ去って存在しなくなった過去ではなく、現在とともに現存する過去のことを言う。純粋過去の特徴はおおよそ次のようなものだ。
 
1.純粋過去は現在と同時だということ。
2.純粋過去自体は過ぎ去らないし、到来もしない。
3.純粋過去は”存在した”ものではなく、存続し、存在するものである。
4.純粋過去は、過ぎ去る現在に先立って前存している。
 
こうした純粋過去の場所について、それが「奥行き」の中に眠っているとドゥルーズは『差異と反復』で仄めかしてはいるのだが、その場所探し、その地図作成について深くは追及していっていない。
 
この奥行きの探索は言ってみれば地底探検のようなもので、そこでは時間が止まった世界の風景が球形のアーキテクチャとして層をなしている。シュタイナーの言葉でいうならエーテル界だ。それは存在の洞窟において最初に見えてくる物質原像(無生物を作りだしているイデア)の世界と言っていい。
 
この垂直の深みに息づく球形のアーキテクチャの層は時空という水平面の世界では「回転」の多重性という形で影を落としてくる。それがいわゆる波動関数を基本にして表現される素粒子世界だと考えるといい。
 
このアーキテクチャは人間の先史が作り上げた、一種の古代都市のようなものと言い換えてもいいだろう。それは精神が作り上げている共同体のことでもある。それが今では流れ行く時間の勢力のもとに見事にバラバラに破壊され廃墟と化している(素粒子を粒子や波動として捉えるときなどが特にそう)。
 
このアーキテクチャを僕たちの認識に再構成することは不可能なのだろうか。幅の世界の中で水平化してしまった人間の欲望を、奥行き方向への垂直化した欲望へと切り替えていくことが必要だ。そのためにも人間の先史が作り上げた古代都市の姿の、せめて設計図だけでも復元したいと思っている。

古代都市