再度「世界を裏返す」ということの意味合いについての確認を!!

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幅の思考によってイメージされている世界、及び、そこから派生しているすべての意識状態。とりあえず、これを「人間」と考える。
  
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奥行きの思考を進めていくに当たって、まず最初の難関は幅と奥行きの差異をうまく見出せるかどうか、という点。幅は延長だが、奥行きは持続。この差異の発見自体が反転世界への入り口を意味している。この発見が起こると、今まで主体と客体と思っていた位置が入れ替わる。このことを「位置の交換」という。
  
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次の難所は、今まで自分を外から取り囲んでいた空間をいかにして内側に畳み込む感覚を作り出すかということ。この調整によって、非局所的一点が目の前に現れる。この作業のことを「位置の等化」という。
 
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次に「位置の等化」においてイメージされてくる非局所的球体を一本の線分の認識へと変え、今度はその線分の集まりが作り出している球空間をイメージしていく。ここに出現してくる球空間を「球精神」と呼び、この球精神が認識に形成された状態のことを「位置の変換」という。
 
時空認識(位置が存在しない)→位置の交換→位置の等化→位置の変換という、これら三段階の反転のプロセスによって、反転世界全体への向き付けは完了し、そこから世界は裏返りの広大な領域を向き付けを変えたその当の意識の先に開いてくる。
 
これは物質の内側から世界を見ると、世界はどのようなものとして見えるかということと同じことを言っている。そのような反-世界が本当に存在している。これは信じる-信じないの問題ではなく、思考の在り方の問題。そして、その思考に触発されて生じてくる空間感情の問題。
  
非局所的思考(持続空間の思考)が今までは閉ざされていたというだけのこと。
  
反転においては思考(反-思考)が感覚や感情(反感覚、反感情)をリードしていく。これはヌースが先手だということの本意。
 
(人間の場合は常に感覚や感情が先行している、というより、それが定めになっている)
 
と言って、幅の思考の世界を否定するものではないので、その点は十分、注意を払ってほしい。
 
奥行きによる思考を行う意識体を自分の分身として根気強く育てていくということ。それによって、幅の世界で生きる「わたし」と、奥行きの世界で生きる「未知なる主体」との関係の中に、「わたし」という現象自体が生まれていることが、はっきりと分かってくる。その両性具有感覚を呼び覚ましていくことが重要。
 
下イラストはhttp://giveahand.ru/?k=mobiusより借用させていただきました。

世界を裏返す