魂の反撃のために―とりあえずの総括

「前」と「後ろ」の話で始まったヌーソロジーの外面・内面談義ですが、詳しくやっていくと終わらなくなるので、このへんで簡単にまとめておきます。
  
先日UPした図からも分かるように(下図再掲)、人間の内面では自分から広がる広大な時空として見えていたものが、人間の外面では「一本の線」へと変貌します。詩人アンリ・ミショーは自分の死の経験を「一本の線」として語りました。
  
まさに、その線の姿がこの3次元球面上の直径(円環です)に当たる部分に表現されていると考えるといいでしょう。ミショーにとって線は決して眺める対象などではなく、自身の生を支える魂そのものだったわけです。人間の外面で活動する持続空間とはその意味で、死の空間と言ってもいいものになります。
  
となると、この図で赤で示した時空の方は、私たちが生と呼んでいるものの空間に対応していることになります。しかし、青の空間がなければ赤の空間が認識に上ることは決してありません。ベルクソンの言うとおり、時間や事物の運動は持続があってこそ、初めて意識化されるからです。
  
まさに、この図は「生死不二」のダイアグラムになっているわけです。
  
このように、時空意識にとって、死の世界は物資の内部性に息づいているのですが、時空意識はそれを外部側から物質としてしか触れることができません。これが「付帯質の外面」と呼ばれる領域です。一方、「一本の線」である奥行きを通じて感覚化されてくる物質の内部側が「付帯質の内面」の領域です。
  
つまり、
人間の内面(赤)は付帯質の外面。
人間の外面(青)は付帯質の内面。
  
このへん、とてもややこしいですが、内面・外面はそれぞれ進化と反映の方向性を意味する言葉なので、進化が時空内から時空外に向くとき、内面と外面の方向も反転してしまうんですね。
  
今まで皆目見当もつかなかった生と死の方向感覚を、たとえ漠然としたものであれ、物理学的知見を用いて予測することができるだけでも、この3次元球面と3次元双曲面(時空)の相互反転のダイアグラムが持つ意味合いは大変、有用なものではないかと感じています。
  
OCOT風の表現で言うなら、「方向だけではなく、力が生まれる」ということです。

持続空間の集合体としての3次元球面