12月 4 2017
ヌースの量子解釈からイメージされる21世紀の思考のテーマ
今度(12/9)のヌースアトリウムの資料作りをしないといけなくなってきた。お題は「SU(2)の描像について」。
今回はシュタイナー研究者である福田氏の講演の前座で持ち時間が2時間ほど。なかなか厄介なテーマなので、組み立てに苦しんでる。数学的な詳しい解説は翌日曜日のΦさんのレクチャーでいろいろとあるだろうから、あくまでも、こちらはヌーソロジーからの切り込み。
しかし、初めての参加者も多いので、バランスを取るのがチョー難しい。
さて、どういう構成にするか、かなり迷うところ。いずれにしろ、素粒子と観察子相互の関係が話の重点になると思うので、ヘキサチューブルのモデルに沿って、ヌーソロジーの概念と並行させながら、SU(2)に接近していくのがベストかな(下図参照)。
SU(2)の背景は、ΦさんやSさんなど物理学の研究者たちもいつも言ってるように奥が深い。シュタヌー本でも、その奥深さを指定のページ数の中では語れそうになかったので、深入りはしなかった。まぁ、まだ本に書けるほどこちらの理解が深まっていないということもあるが。
SU(2)の奥深さの本質。それは、自他関係が虚(奥行き=自己)と実(幅=他者)としてしか現象化しない、というところにある。だから、SU(2)は鏡像としてiSU(2)を要請する。これは、自己から見たSU(2)と他者から見たSU(2)の関係のようなものだ。
その対関係もまた自他においては入れ替わっているということ。そうした捻じれ合いが延々と続いて、持続空間を組織化していっている。
時空やローレンツ変換という外部性と、スピノルが形作る内部空間は、こうした捻じれの多重性による美しい秩序で構成されており、この組織化を理解することが、まるで量子論の本質的理解と言ってもいいかのような様相を呈している。ヌーソロジーの文脈で言うなら、このことは、量子論の本質が自他論として再構成されなくてはいけないことを意味している。
そうした空間ビジョンが人間の知性の中に築かれたときはじめて、人間は時空や物質が自分とは無関係に外部にあるものなどではなく、自己の内的延長性に息づく自他の霊的合一の場であることを知るようなる。元素体として生きるヒトの意識次元というものはそういう領域だ。
その意味では、世界の存在を外部に見てきた人間の歴史観は自然史からは大きく逸脱している。いや、自然史に対する抵抗勢力と言っていいのかもしれない。人間が現在、時空上に思考している宇宙史は自然史を無理やり人間の歴史側に組み込んだ幻想だ。
ビッグバン理論も進化論もすべて、生命に対する反動のビジョンだということ。この是正を行うことが21世紀の思考のテーマにならなくてはいけない。
1月 5 2018
スピノル・ストーカー
今回はスピノルの話。(スピノルとはクォークや電子など、物質を作っている粒子の角運動量ベクトルのことです)
何でスピノルにこんなにこだわっているのか。それはスピノルが物理学では物質を作っている根底的な「型(かた)」となっているにもかかわらず、未だにそれが何かについての議論がどこにも見られないからだ。言葉を換えれば、僕たちは未だに物質の本性を何一つ理解していないということ。
人間型ゲシュタルトは物質を対象としてしか見れない。だけど、反転認識が芽生えたトランスフォーマー型ゲシュタルトにとっては、物質は対象ではなく自分自身の精神として見えてくる。つまり、そこでは主体と客体の分離が消失する。主客分離以前の原型的世界がそこに、再び展開されてくるというわけだ。
その世界へのゲートをくぐるために、このスピノルの描像は避けては通れない。言わば、スピノルに対する理解が、主客一致の認識という狭き門へと入るための絶対条件と言っていいものになっていると言えるだろう。
スピノルは内部空間と呼ばれる時空とは別種の空間で回っている。その回転がいつも言っているSU(2)(エスユーツー)というものだ。これに対して僕らが普通慣れ親しんでいる回転はSO(3)(エスオースリー)、いわゆる3次元空間での回転だ。SO(3)とSU(2)は似ているのだけど、決定的な違いがある。それは、SU(2)では回転の軌道がメビウスの帯のように捻れていることだ。下のアリさんの図で確認してほしい。
だから、スピノルはベクトルのように一回転しても元の場所には戻ってこない。ウラ側に回る。元の位置に戻ってくるためにはもう一回転しないといけない。720度回って対称性を取り戻すわけだ。
直感的に分かると思うのだけど、メビウスの帯では帯の環が作る内部と外部が捻れによって等化されている。つまり、内部=外部、外部=内部が成り立っている。SU(2)の形は、それが球面として成立している。つまり、球体の内部と外部が捻れていて、もはやそこには球体の内部と外部の区別がない(こういう形を数学では「3次元球面」と呼びます。3次元すべての方向が円で繋がっているということ)。
この認識がトランスフォーマー型ゲシュタルトのベーシックとなるのだが、このような空間認識が副産物として何をもたらしてくるか大方の予想がつくのではないだろうか。
すなわち、物体の内部/外部概念の無効。従来の主客概念の無効。パラドクスの許容等、現在の人間が依拠している容器図式が持った同一性認識をことごとく解体させていくわけだ。
現在の人間に決定的に欠落しているのは、空間に内在しているこの捻れに対する知覚力だ。それは、自分自身の位置を空間の中に同居させていないことに起因している。いつも言っているように、世界を対象としてしか見ていないということだ。
自分自身をも含めて世界を論じていくためには、観察位置としての無限遠点の存在を空間の中に見なくちゃいけない。
無限遠点が空間の中へと降りてくれば、スピノルの謎は瞬く間に氷解していくことだろう。それは同時に、私たち自身が初めて物質の秘密に触れる日でもある。まさにベンテコスタの風景がそこに展開されていくわけだ。
ヌーソロジーの空間認識では、このSU(2)とSO(3)は人間の回転認識における上次元と下次元の関係にある。これは、人が物体の自転を認識しているその背後でSU(2)が人知れず活動しているということを意味しているのだが、君にはそれが感知できているだろうか?(下動画参照)
できていれば、君はすでに4次元認識の達成者、ということになるのだが。。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: SU(2), スピノル, 人間型ゲシュタルト