9月 16 2014
内から生まれでるカタチ
OCOT情報は「表相」という概念を極めて重要視します。表相とは「一つの対象の見え」を支えている空間概念のことです。この表相が人間の意識における最小の次元であり、かつ最大の次元だといいます。別名、点意志とも呼んでいます。
最小の表相から最大の表相までを辿って行く思考の旅。それを決行していくのがヌーソロジー(旋回する知性の学)と呼んでいいでしょう。その行程の中に無意識の全貌が隠されています。
表相は物理学ではおそらく i ℏ (ディラック定数)として表されているものに当たるのではないかと思っています。これは位置xと運動量pの交換関係で示される差異ですが、この差異は存在における本源的な差異とも呼べるものであり、世界が「見え」として開いている表現であるようにも感じています。
i=虚軸は奥行きに当たります。これが精神の住まいを意味しており、その中には純粋持続が息づいていると考えられます。ℏは開示された視野面に当たり、この面が想像力のベースになっているように感じています。物理的には、奥行きが電場、視野面が磁場のもとになっているものと言っていいのかもしれません。持続力と想像力が電場と磁場の本質だという意味です。
ℏと虚軸はちょうど円に突き刺さった軸のイメージになりますが、ここで軸をグルグルと回転させるところに生まれてくるのが光子で、この光子は人間の意識に点の観念を提供してくることになります。
光子が物質の大本の起源だと考えると、自然界のすべての物質は精神が物質の内部側から形作っていったものと考えなくてはいけません。人間の認識は常に物質の外部側からしかアクセスできませんから、人間が作り出す物質(変形や化学処理を含む)には精神の力が作用していないということになります。
こうした状況をOCOT情報は「人間が作り出すものにはすべて付帯質が反映されている」という言い方をします。これは言い換えれば、生命の生成力が備わっていないという意味です。
物質科学は自然を単に原子の束としてしか見ません。それも当然のことながら、それらはすべて外部から対象として見られた原子です。そのような認識のもとで展開された思考によって生み出されてくる化合物は、自然界を充たしている化合物とは異質なものなのです。
空間に生まれでてきているカタチとは精神の表出です。カタチを見る方向に入っている意識をカタチを作り上げている方向に侵入させていかなくてはなりません。カタチを作り上げていくこの力のことをOCOT情報は「形質」と呼んでいます。そして、この形質の第一生態がこそが虚軸、すなわち奥行きと考えるといいでしょう。
10月 28 2014
鏡を割って、鏡を開く
羸都鏡(おきつかがみ)/ 十種神寶圖形譌に曰く、古傳圓鏡異名也、亦外宮神體を為す、故水鏡と云ふ。亦、物部氏十種瑞寶秘傳に曰く、白銅圓鏡也、或説金鏡、日象之鏡、在人者陽、火気鏡也、大宮賣神所掌也。………これは他者の視野世界のことです。
邊都鏡(へつかがみ)/十種神寶圖形譌に曰く、古傳八咫鏡異名也、亦内宮神體を為す、故火鏡と云ふ、右両圓者は上古鏡架也、鏡形から脱す者也。亦、物部氏十種瑞寶秘傳に曰く、白銅圓鏡也、或説銀鏡、月象之鏡、在人者陰、水気鏡、御気都神所掌也。……自己の視野のこと。「鏡形から脱す者也」の部分、要注意。
オキツカガミ(外宮神体)とヘツカガミ(内宮神体)。一言でいえば、他者の視野空間と自己の視野空間の関係のことを言っている。今の人間は他者の視野空間に支配されていて自分の視野空間が開いていない。つまり、外宮のみに世界を見て、肝心の内宮神体が沈んでいる。
僕がいつも「真の奥行きを取り戻せ」と言っているのは、このヘツカガミをきちんと立てるためなんだけど、ヘツカガミが立つと、内宮の風景が見え始め、写し合う二枚の鏡の関係によって、神話でヤタノカガミや八重垣で象徴されている四組双対の空間階層が見えてくる。
その第三階層と第四階層にあるのが、生玉(イクタマ)と死返玉(マカルガエシノタマ)、足玉(タルタマ)と道返玉(ミチガエシノタマ)だ。それぞれ互いに反転関係にある。OCOT情報が順に「位置の等化」「位置の中和」「位置の変換」「位置の転換」と呼ぶ空間概念に対応している。。
外宮で遊ぶ鏡形から脱し、内宮から外宮へと至る逆の道を開くこと。そこに他者との真の出会いの秘密(火水)の場所がある。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: OCOT情報, 位置の等化, 奥行き