3月 1 2013
3Dソフトを使っての「奥行き」の解説
最近、ひょんなことからMacのモニター画面をそのまま録画できる方法を知った。その方法というのが驚くほど簡単でQuickTimeで「新規画面収録」をセレクトすればいいだけ。これだと面倒臭いアニメーションの製作をする必要なしに3Dソフトをいじりながら画面を録画するだけで、ヌーソロジーの諸概念を3Dで説明できる。そう思い、さっそくfacebook上で実験を開始した。
まずは、奥行きと幅の成り立ちの違いについて複素空間を使って簡単に説明。次にヌーソロジーの基礎となる重要な概念「人間の外面」と「人間の内面」について解説。
facebookにさっそくUPしたところ、分かりやすいと好評を得た。ということで、こちらにもUPしておきます。
●解説1………奥行きに距離を見てしまう認識は、他者が知覚している幅を自己が奥行きとして仮借していることによる。
●解説2………奥行きのリアルは一点同一視されプランクスケールにまで縮んでいる。
●解説3………奥行きとは持続を意味し、真の主体が位置しているところである。
●解説4………複素数の反転W=1/Zが時空と持続を分ける元になっている。
【補足】昨年末当たりから、ヌーソロジーの次元観察子の概念を複素空間で組み立て直すことを考えている。今までは人間の外面(持続領域)と人間の内面(時空領域)をホーキングが提唱した虚時間宇宙=4次元空間と4次元時空の関係に対応させて説明していたのだが、この虚時間宇宙モデルでは自己と他者がそれぞれ経験している主観的宇宙の差異をうまく表すことができなかった。というのも、4次元空間が4次元時空に対する差異を表すとしても、時空の反転が起こったときの自他の外面同士の差異がうまく表現されていないからだ。それに素粒子を表現する波動関数は複素関数である。観察子概念を複素空間に置き換えなければ素粒子との対応を正確に論じることはできない。
このことは前々から抱いていた問題意識ではあったのだが、空間に多重化している次元観察子の構造をどのようにして複素空間で表現すればよいのかなかなかまとまらなかった。去年1年、ドゥルーズやメルロ=ポンティの空間論を読み直し、やはり奥行きと幅の差異を実軸と虚軸の関係に見て取るのが目の前で生起している現象の在り方に最も即していると考え、いろいろと構成を試みた。まだ多少、曖昧な点はあるが、どうにか次元観察子の構成を複素空間上でまとめられそうだ。
8月 28 2013
ヌーソロジーVSシュタイナー
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去る8月24日の土曜日、神戸で『ヌーソロジー×シュタイナー』というトークイベントが開催された。主催は観音企画さん。会場には関西ヌーソロジー研究会の皆さんをはじめとして総勢50名に近い人が集まって下さり、2次会まで大いに盛り上がりを見せた。この場を借りて、参加していただいた皆さん、司会を担当していただいた関西ヌーソロジー研究会代表の川瀬さん、そして観音企画のKaoruさんと鈴木さんに感謝の念を表したい。どうもいろいろとお世話になりました。ペコリ。
さて、公開の場で、ヌーソロジーが他の思想・哲学とセッションを行うというのは初めての試みだ。僕自身、このイベントのために前もってシュタイナーの著書を4〜5冊ほど読んで臨んだのだか、受験勉強のようなつけ刃の詰め込みではシュタイナー思想の壮大な厚みはとてもつかみ取ることができない。ヌーソロジーからいろいろと突っ込みを入れようと思ったものの、逆に福田さんによる幅広いレンジのシュタイナー解説に「ほぅ〜」と感心するばかりで、スリリングな対談に持っていくことができなかった。やはり、シュタイナーは巨人。ヌーソロジーは新入幕程度のレベルということなのか。。。とほほ。いや、僕にはなかなかそうは思えない。しっかりと突っ込んだ議論こそできなかったが、ちょうど北の湖全盛時代にキラ星のごとく現れた千代の富士のように、ヌーソロジーには現代感覚にマッチしたスリムなシャープさがあると自分で勝手に自負している。現代において人間の知性の営みに霊的な感性を蘇らせるには、時代にマッチした表現力というものが必要なのだと感じている。シュタイナーに物足りなさを感じるのはたぶんその時代感覚の強度にかけるところかもしれない。
とは言うものの、シュタイナー霊学はほんとにすごい思想体系になっている。今回、ゲストとして招待された福田秀樹さんはシュタイナー自身が敢えて避けていた、「シュタイナー宇宙論の構造分析」に取り組んでおられる方なのだが、その枠組みの解説を聞いていると、こと構造面に関する限り、ほんとにヌーソロジーとそっくりなのである。おそらく、現代人がシュタイナーの思想を受け入れづらいのは、やはりその多くが霊視を通じた超越的な知識の記述で満たされているからだろう。ほとんど宗教に見えてしまうのだろうと思う。ディルタイを意識したのかどうかは知らないが、シュタイナーは自分の思想を『精神科学』と呼ぶことを好んでいた。シュタイナーの思想は確かに奥が深く、意味深ではあるのだが、それでも従来の哲学や科学からはかなりの飛躍がある。おそらく、この飛躍を現代思想や現代物理学の知見を持って埋めていく役目をヌーソロジーは担っているのではないかと考えている。
シュタイナーは修行によって誰でも霊視力が芽生えてくるものと言っているが、霊視力が超感覚的な高次元知覚の力であるならば、それは文字通り、数学的な意味での高次元の幾何学的概念ともリンクしなければならないし、実際の現象世界においてもその存在の徴表を、素粒子の振る舞い等の現象的事実として指し示すことができなくてはならない。そういう作業を通してこそ、霊的知識は多くの人々に相互了解可能な知識となるのであり、精神科学という表現もその達成において、初めて違和感のないものになるのだと思う。
超古代建築のあまりの壮麗さの前に一瞬ではね飛ばされるモダニズムの建築家のように、僕自身もシュタイナーの思想の射程に一瞬眩暈を感じはしたが、未来の建築物は超古代の建築物が持った圧倒的な存在感を乗り越えるところにしか出現しない。超古代はやがて到来する未知の絶対的未来を朧げに模倣しているだけだと感じている。だから、ヌーソロジーの試みは必ず成功する——そう思って作業を続けるしかない。
観音企画さん、川瀬さん、参加していただいた皆さん、そして、福田秀樹さんに、重ねてお礼申し上げます。
(上写真提供/関西ヌーソロジー研究会の原さん)
By kohsen • 01_ヌーソロジー, 02_イベント・レクチャー, シュタイナー関連 • 0 • Tags: シュタイナー, 素粒子, 関西ヌーソロジー研究会