8月 25 2023
“More is different”はヌーソロジーも同じ
自己と他者では「ある」空間と「いる」空間が真逆になっていると言いましたが、互いの「ある」を等化している無意識が物理的に表現されたものが電場振動(+・-)で、互いの「いる」を等化しているのが磁場振動(N・S)です。電磁場はその両者をさらに等化している精神の物理的反映物です。
こうした働きを持つ精神のことをOCOT情報では「人間の中性質(チュウセイシツ)」と呼んでいます。人間の意識が「ある」空間と「いる」空間を区別することができていないのも、裏でこの等化力が働いているからです。等化されている側(これを中和側と言います)では、自己と他者の空間的な差異が見えなくなり、同一化が起こります。そのような同一化の視点で世界を見てるのが科学です。科学は自己も他者も関係なく、人間一般として人間を生物物理的な機能として分析することしかできません。
中和された側にとっては、世界を外部側(延長空間)からしか捉えることができません。時空から差異化している持続空間の存在に気づけないのです。持続空間は「ある」空間と「いる」空間の間に、「なる」空間として内包化して入り込んでいます。それを私たちは「物質」と呼んでいます。
存在の声を聴いているのは「いる」ものの方です。「いる」ものは「なる」へと方向を持っているので、常に「なる」ものから呼びかけられています。人間の意識が「いる」ことを忘れて「ある」の方へ落ち込んでしまうと、存在の声は聞こえなくなります。「ある」ものでしか世界を考えなくなれば、「いる」ことの意味は希薄化し、世界は死に絶えて行きます。それが今という時代です。
ヌーソロジーの役割は「なる」空間を可視化していくことにあります。OCOT情報が「カタチ」と呼んでいるもののことですね。「なる」空間が可視化されてくれば、物質と空間の差異は消えて行きます。内部や外部といったものが意味をなくすということです。そこに生まれてくるのがヌーソロジーが予見する新しい意識形態です。
正直、まだ始まったばかりですから先は長いです。しかし、土台はそれなり出来上がってきています。あとは数でしょう。この辺りはAIと同じですね。モア・イズ・ディファレント——多くの人がこの方向の思考に参画していくことによって、「なる」空間は必ず開いてくると感じています。
9月 19 2023
「精神の位置」 という概念がもたらすもの
ヌーソロジーはかつてないほど直球ストレートで「自己とは何か」について語っているのだけど、多くの人が幅世界の歴史の中で語られてきた「内在」に関する大量の情報にがんじがらめにされてしまっていて、シンプルに自分と空間の関係を見れなくなっている。自己=ミクロが通じないのもそのためだろう。
自己=ミクロ。つまり、ミクロとしての精神の位置。マクロに宇宙を見ている現在の人間は、その意味で精神の位置を見失っている。OCOT情報が「いまだ人間には位置がない」と言ってるのもその意味だ。
確かに、今の私たちには「物質の位置」という概念はあっても、「精神の位置」という概念はない。自分自身の持続が位置概念として空間に定位されていない。
意識を構造として思考していくためには、持続を位置として概念化させる必要があり、当然、それは時空の”外の思考”を芽生えさせてくる。その思考感覚がやがては、従来の時空内部での思考様式を相対化させ、人間の存在感覚を高次へと拡張していく。その意味でも「位置」の発覚はデカいように思う。
自分で言うのもなんだが、「精神の位置」という概念の何が画期的かというと、「物質進化の過程の一体どこで意識が生まれるのか」という科学者が立てるような問題を一蹴するところだ。ここで、物質を人工ニューロンのようなプログラムに置き換えても構わない。元々、次元が違うのである。
つまりは、精神の起源などは問えないということ。そういう割り切りが必要だということ。こうした割り切りの中では、むしろ、精神がどのようにして物質を自らの内部に表現したのか、という問いの方が正しい問い立てになってくる。
要は精神宇宙が先、物質宇宙は結果だということ。精神の位置が見出されると、今の私たちとは全く逆方向に存在する世界について、思考を立てていくことができるようになってくるということだ。
そして、そうした精神宇宙の始まりが、現在、科学が素粒子と呼んでいるものの即自に当たる私たち人間の無意識だ、というのがヌーソロジーの主張だ。物質宇宙と精神宇宙の関係をまるまる反転させて見ているわけである。そういう思考法を作りましょうよ、と。
下図は名古屋大学理学部 大学院 理学研究科/多元数理科学研究科 のHPより借用
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: OCOT情報, 素粒子