マヤ暦における「時間を外した日」の真意

ヌーソロジーで「時間を外す」ということがどういう状態のことを言うのか、ツイッターでまとめておいた。以下はその内容。
 
まず必要となるのが、以前もここで紹介したO氏制作による「観点が球面化した空間」を直観するためのビデオ。
 
【映像1】まずは自分の周囲を公転している物体を視点で追うイメージを作る。そのときの様子を客観的に見たところの映像がコレ(青い矢印は物体自身は自転していないことを示している)。
 
【映像2】この様子を観測者自身から見たところの映像がコレ。
 
映像2ではKitKatの缶が自転しているように見えるのが分かるはずだ。このとき自転中心として感覚化されている位置が反転した空間の中心点と考えるといい。客観的空間では観測者を取り囲んでいるはずの円周が一点に集約されていることが直観できるはずだ。
 
ここでは分かりやすくするために実際の運動として示しているが、これは意識で起こっている出来事なのでイメージだけでも構わない。自分の周囲に円があるというイメージを誰でも持っている。それが外部の空間イメージだ。しかし、ここでの実験は、そのとき必ず逆のものが作られていることを意味している。そこでは観点の方が円環化し、外部の円はその中心点となっている。
 
そして、意識においてはその中心点は現実として目の前にあると考えることが必要だ。僕らはまだはっきりとは気づいていないが、自分の周囲にバラバラに見えていた対象の位置を一点で統一している位置の空間が目の前に存在しているのだ。そして、実はその空間に見える対象のことを僕らは「記憶」と呼んでいる。
 
難しいことは言ってない。実際に自分の周囲の前後左右に携帯とかバッグを置いて試してみるといい。目の前に携帯がある。左を向くとバッグがある。後ろにはパソコンがある。右にはコップがある。一回りして携帯がある。そこで、それらの記憶を思い出すといい。それらは目の前にすべて重なって”在る”はずだ。そういうことを言っている。
 
実は、この反転の持続空間の構造を仔細に分析していくと、量子力学が語る「状態ベクトルの世界」と全く同じ構造をしていることが分かってくる。ブロッホ球とも呼ばれている。電子等の物質粒子と考えてもいい。→下図1参照
 
最初はなかなかイメージが作りづらいかもしれないけど、反転感覚に慣れてくるとこの球体をそれなりにイメージできるようになってくる。この持続球体が目の前にしっかりとイメージできるようになってくると、時間に対する感覚も反転してくる。つまり、現在から過去を見るのではなく、過去(記憶-持続)から現在を見ているという感覚になってくるということだ。ほんとうは皆んなそうしてるんだけど、現代人は物質意識が強いからどうしても今瞬間の現在が中心になっている。自分の本当の居場所を忘れているんだね。
 
マヤ人たちも含めて超古代人たちが所持していた世界観というのは、この反転した空間思考をベースに成り立っていたと思っていいよ。意識の方向が現代人とは真逆の方向を向いていたってことなんだ。ヌーソロジーはまたそこに戻っていくための方法論だね。それも、しっかりと足場を作りながらね。だから、3次元もしっかりと押さえながら、一方で3次元から出て行く意識というのが意識できてくるようになる。これが僕が「別人」=トランスフォーマーと呼んでいる生き物。
 
ちなみに、マヤ暦でいう「時間を外した日」というのは、地球の自転と公転の等化の意味なんだ。つまり1日と1年が一致する日という意味。月の暦28×13=364で地球は太陽の周りをほぼ一周するんだけど、地球が一周するということは同時にそこで地球の一自転も起こっているんだね。それが365日目で合体する。そう意味で、この最後の1日は1日と1年を等化しているということ。関係性はさっきのビデオと基本的には同じ意味だということが分かるよね。ただ、地球の自転と公転の方は人類の集合意識レベルでの話だけどね。ヌーソロジーの空間構造から見ると次元が少し上にある。下の円心の図を参考にしてみるといいよ。
 
ということで、「時間を外した日」に乾杯!!



ブロッホ球
円心という概念