10月 21 2013
エーテル空間へと反転しよう
世界が4次元時空として認識される以前に、それに先行する原-空間があると考える必要があります。この原-空間は幼児空間と言い換えてもいいようなものです。というのも、幼児においてはまだ空間の3次元性も時間における過去-未来もよく把握できていないからです。
4次元時空とこの原-空間の関係はシュタイナーのいう物質空間とエーテル空間の違いと同じと考えていいと思いますが、重要なことは物質空間を時空とするならば、物質空間の認識はエーテル空間の発達の後に起こるということです。
数学的にはこのエーテル空間を射影空間と見なすこともできますが、4次元時空の数学的成り立ちから考えると、複素2次元空間と見なすと話がうまくつながってきます。
複素2次元空間とは複素数平面2枚からなる空間のことです。実軸2本、虚軸2本、で一種の4次元空間です。ここでは実際見える空間は実2次元、つまり平面になります。残りの2本の虚軸は視線です。一本は実際の知覚を可能にする幼児の視線。もう一本は幼児に想像を与える母親の視線です。
幼児はこの4本の空間軸を使って、対象関係を育んで行きます。つまり、母親の眼差しと指差し、自分の眼差しと指差し、それを相互に確認しながら、空間を開示させていくのです。
こうした意識発達が起こっている場所は時空ではありません。そこでは敢えて3次元的に表現すれば、二種類の3次元回転が起こっています。一つは母親の視線の回転を使ってイメージされる想像的な3次元、もう一つは幼児が自身の視線を使って知覚する3次元。この二つです。
この二つの回転が十分に意識を満たしてくると、母親の視線と幼児自身の視線を一致させた共同視線が意識に生じてきます。これはシュタイナー的に言えばエーテル体の変質と言っていいようなものです。幾何学的には母親と幼児が作る二本の虚軸間の回転です。
ここにi×iというかたちで「−1」の空間が生まれてきます。これが物理学が時間と呼ぶものに当たります。シュタイナーはエーテル体の変質は悟性魂を生み出すといっていますが、時間の認識はこの悟性魂の働きによって初めて生じてくるものと言っていいでしょう。
この「−1」の視線は身体にとっては左右から侵入してきています。本来の奥行きに対して直交してくる方向です。しかし、物質空間にどっぷりと浸っている人間の普段の意識はこの左右方向を奥行きと見なし、奥行きを時間と見てしまっているのです。
フロイトではありませんが確かに「幼年時代はもうない」。時間が支配する物質空間を十分に楽しんで自我を満喫したわたしたちは再び、「幼年時代」に戻る必要があります。そしてもちろん今度は無意識的にではなく、自我を段階的に確立させていった高次の自我としての自らの無意識を意識化するのです。
知覚野を複素2次元として再構成しましょう。
それが宇宙の原初である始源(アルケー)に戻るということの本質的意味だと感じています。
11月 8 2013
シュタイナーの身体空間論を見て思ったこと
最近は、持続の在りどころを奥行きとして、ずっとその構造を追いかけているのだけど、結局、シュタイナーの奥行き論?と完全に一致を見るようになってきた。興味のある方は『人智学・心智学・霊智学』(ちくま学芸文庫)P.235〜250当たりをご覧になられると面白いかも。
この部分でシュタイナーは時間の流れには過去から未来へ流れていく方向と、未来から過去へと流れて行く方向の二つがあると言い、それぞれを空間の左から右、右から左という方向で示しています。シュタイナーによれば、前者の流れがエーテル体で後者の流れがアストラル体です。
以前、左から右への方向は「身着(みぎ)る」ものの方向、右から左への方向は「霊足る(ひたる)」ものの方向としてある、という話を言霊の研究者の方から聞いたことがありますが、エーテル体の流れを悟性的時間、アストラル体の流れを感性的時間だとすると話はうまく噛み合ってきます。エーテル体は変質して悟性を作り物質体を概念として表現する働きを持っており、反対にアストラル体は感性としてエーテル体としての感覚を対象化する働きを持っていると考えられるからです。
通常、僕らは時間を過去から未来へと流れて行っているものとしてしか考えていません。こうした時間感覚はエーテル体の流れ、つまり悟性的な時間意識と言えそうです。悟性的な時間意識にとっては未来はいまだ訪れぬものとして常に予期の状態で存在させられているわけですが、そこで予期されている時間は、今が5時ならば一時間後は6時だろうといったような一般化した外在的な時間概念です。
一方、アストラル体の流れは右(身着るもの)から左(霊足るもの)、つまり、外在的な時間から霊的なもの、内在的な時間へと向かおうとする流れです。左方向には時間的には過去が存在するわけですから、シュタイナーが指し示す構造から言えば、霊的なものは過去に充満しているということになります。
実際、わたしにとって過去とはわたしによって経験されたものであり、それはわたしの記憶に回収されて、まさにわたしとしてあるものと共に生きているという意味で、一般的ではなく特異的なものになっていることがわかります。時間はなぜか過去は経験できるが未来は経験できないという形で存在させられていますが、このことは、過去と未来が、あたかも自己と他者のような関係として配置
からかもしれません。
ただし、ここでシュタイナーが指し示している左右方向の時間の流れは、魂の発達段階としては第二段階のものとして考えなくてはならないと思います。知覚心理の発達と照らし合わせるためには、まずは前-後があって、次に左-右へと身体の空間軸は開いていくのです。
前-後軸の場合は、「前」が特異性で、「後ろ」が一般性でしたから、魂の発達の第二段階の左右軸においては、前後軸がそのまま左右軸へと左方向に90度回転したものだと予想できます。
この前-後(見ること-見られること)から始まる身体の空間軸の内実を、左右、上下、さらにはそれらの統合としての方向というように、複素空間での次元概念を用いて追いかけているのがヌーソロジーの次元観察子という概念なのですが、それらが描き出すイマージュは素粒子システムにおける内部対称性の拡張と驚くほど似ています。
シュタイナーの霊学は必ずやOCOT情報と結合し、壮大な精神科学がまもなく登場してくるという確信が、現在、一段と深まっているところです。
By kohsen • 01_ヌーソロジー, シュタイナー関連 • 0 • Tags: アストラル, エーテル, シュタイナー, 次元観察子