365と260 (2)

マヤの神官たちが神事のために用いていたと言われる神聖暦=ツォルキン。ツォルキンが示す260という周期性は一体、何を意味するものなのだろう。マヤ人たちは、このツォルキンと1年365日の暦(ハアブ暦)を複合的に用い、73 x 260=52 x 365という52年周期のカレンダー・ラウンドと呼ばれるシステムを採用していた。ここに含意されている意図はかなり深遠なもので、彼らが52年の中に何を見ていたのかは、ヌース的に分析してもまだはっきりしたことは分からない。ただ、ヌース理論が用いる観察子の概念を通して考えると、この「260」と「365」という数が、宇宙の絶対的二元性を象徴するキーナンバーとして登場してくる仕組みが見えてくる。この絶対的二元性とは、すべての創造を終えた精神が経験した対化の等化数と、その反映として現れる始まり以前のカオスを始まりの位置に戻すための回転数である。

 ここでいう「すべての創造を終えた精神が経験した等化の数」とは、タカヒマラにおけるΩ13〜14、Ω*13〜14というキアスム(双対化された太陽系精神)をすべて統一した精神が持っている等化数のことを意味している。太陽系精神はΩ13〜14までの構造を形作るために、次元としては全部で20の等化作用を持たなくてはいけない。これは大系観察子Ω1という単位が次元観察子ψ7と同等の意味を持つために、結果的にΩ14領域まで、合計7+13回の次元等化を必要とするからだ。この7+13=20回という等化数を一つの単位として、今度は、精神はΩ*側との等化運動を進めていく。

 Ω*側とは反太陽系のこと意味するが、これは人間の意識には太陽系外部の外宇宙として見えている世界に対応している(宇宙には太陽系しか存在しないというヌースの絶対的テーゼを思い出そう)。星座や銀河系や、銀河団等の深宇宙が持つ階層性のことである。これらはヌース的には太陽系の外部というよりも、裏返しにされた太陽系の姿である(たとえば恒星1個はΩ*5に対応し、銀河系はΩ*7に対応している)。

 この反太陽系領域の等化運動はΩ*13(おそらく特異点と関係している)で完成を見るが、この完成にまで要する対化の等化数が20×13=260として表されると考えていい。前回、意味ありげに書いた「下に20、上に13」とは、このようにタマヒマラ構造の一周目に要する次元等化数「20」と二周目の次元等化数「13」を意識してのことだった。

 一方の365のシステムの方は260のシステムの全く逆側に存在している精神の影側の世界の律動と関係がある。28という数は、もちろんΩ13〜14、Ω*13〜14という大系観察子の双対システムに由来するが、このシステムはちょうどカバラにおけるセフィロト全体が一つのセフィラー(マルクト)へと収縮、収斂するのと同じように、Ω13〜14、Ω*13〜14という精神構造全体における大系数を地球の中に「28」として投影させ、「月」の公転・自転の中で「1」として取りまとめさせる。かなり抽象的な表現で申し訳ないが、これがヌース理論が考えている月の1公転・自転に対する地球の28自転の本質的意味である。このような理由から、ヌース理論では月は観察精神の投影という意味で「反精神」と呼ばれる。つまり、月とは精神構造におけるすべての対化を等化した精神の影のようなものなのだ。月には前宇宙の創造の記憶がすべてコンパクト化されて眠っており、それは人間の外面の意識に集約され、物質的には人間の肉体の総体と同じ次元で活動している。

 その意味で28×13の「13」とは眠れる月の記憶を覚醒につなぐための象徴数となっている。28がオリオンの下次元に生まれるプレアデスの象徴数とすれば、28×13の「13」とは、プレアデス領域での精神作用の全体をシリウス領域(中間領域)へとすべて接続させるための等化運動の数である。これによって1年がシリウス領域の等化作用の象徴として、オリオン領域の基本等化単位として発振する——。

 コテコテの神秘学的記述になってしまったような。。あわわ。