8月 19 2013
時空誕生の仕組み
前回の話をシンプルにまとめておきます。4次元時空(3次元の空間と時間)とは「左右」方向からの視線の介入によって作り出されているものです。
左右からの視線は本来、虚軸として息づいている自身の視線(奥行き)を横方向において他者の視線(奥行き)と同一化させることによって一般化させている状態を示しています。
この一般化は二本の虚軸の重なりを意味しますから数学的にはi×i=−1となり、時間における負の計量の由来となっていると考えられます。時間とは大文字の他者の視線そのものだということです。
幾何学的イメージとして整理しておきます。まず知覚正面を実の2次元平面としてx^2+y^2とします。左右からの視線の部分の空間構成は、幅化された奥行きである実軸としてのz方向と、かつそのz軸を見る視線i×i=-1→tとなります。この二つで2次元時空z^2−t^が形成されます。
こうしてこれらすべてを足し合わせてx^2+y^2+z^2-t^2としての時空が出来上がるという仕組みです(c=1としました)。→
下図1参照のこと。
現代人たちはこの左右からの視線を自分の「前」に持って来て、遠いところは過去だとか言っています。客観にこだわるあまり、彼らには本来の「前」が見えなくなってしまっているのです。こうした空間把握をしてしまうと、世界のリアルから逸脱してしまうということが容易に分かるでしょう。
その意味で言えば世界を3次元として認識している意識は目が前ではなく、左右についた生き物と言えます。つまり水の中の生き物。魚です。(OCOT情報に拠れば、実際、人間の3次元認識と魚の形態形成は深い関係にあります)。
こうした分析はすべてヌーソロジーが用いる「観察子」という概念によって行っています。
ヌーソロジーが用いる観察子という概念は魂の構造のようなものに相当しています。観察子は空間という見えないものの中に観えるものとして現れてきます。そして、意識がこの観えるものを捉え始めると今まで見えていたものは次第に見えなくなっていきます。脱-表象化が始まるということです。
脱-表象化が始まることによって物質的リアリティーは次第に希薄化していきます。(もちろんの濃度を取り戻そうと思えばすぐに物質は出現してきます)。
観察子は常に空間の中で見えない幾何学を構成しながら活動しています。この幾何学は見えるものをその外部から取り巻き、様々な関係性を織り綴っています。それらは一見、対象の外部で構成されているかのようですが、実際には対象の内部、それも無限小の世界の中で活動しています。
観察子空間のこの無限小化はすべて奥行きの「有りのまま」に由来するものと考えるといいでしょう。有りのままの奥行きにおいては無限大=無限小が自然に成立しています。本来の奥行きに長さという概念が入り込む余地はないのです。
わたしたちが奥行きで宇宙を構成すれば、宇宙はそのまま一瞬にして3次元的対象の内部に収縮して入り込みます。外部=内部という4次元認識はこうして奥行きを通して達成されていくことになるでしょう。
10月 18 2013
シュタイナー霊学とヌーソロジーの幾つかの齟齬
OCOT情報は人間のことを完全性質ともいう。完全性質とは「力が全く確実でない状態」とも言われる。ここでいう力とは精神に対する即時的認識力のようなものと考えるといい。こうした認識の欠如は精神に対して精神を融解させる働きを持つ。この融解において生じているものが「熱」だという。
その意味では、自然界を宇宙精神の投影だと考えた場合、完全性質としての人間はこの自然界においては「熱」として反映されていることになる。そして、もちろんこの熱は即時的認識を持った存在から見れば「人間の状態」を指すことになる。
この熱的状態から人間の精神は進化によって「カタチ」の生成へと向かうとOCOT情報は言う。ここでいう「カタチ」とはシュタイナー的に言えば魂的諸状態の形象のことである。この形象を生み出してく力のことをOCOT情報は「定質」と呼ぶ。定質とは性質とは正反対の意味を持つ言葉だ。性質の状態をstabe=安定化させていく力といったような意味に解釈できる。
この定質の発振が実際に何に当たるかというと、それがヌーソロジーがいつも言っている「顕在化」、つまり素粒子構造の知覚化にあたる。これは物質の即時的認識の第一段階と考えていい。
実はシュタイナーも同じようなことを言っていて、土星期(熱的状態にある)から太陽期になると、アルヒャイ(土星期の人間段階にいるもの)が周囲の存在の内的、魂的諸状態を形象として観察できるようになると書いている。おそらく、この観察を試みているのがヌーソロジーの現在の作業ではないかと考えている。つまりは、人間の物質体・エーテル体・アストラル体・自我という人間の魂的諸状態が素粒子構造によって規定されていると考えるわけだ。こうしたアプローチを採ることによって、シュタイナーが霊視したつかみ所のない宇宙史を文字通り精神科学としてポストモダン的に再生させるためのヒントが見えてくる。
ただし、シュタイナーに拠れば現在の人間は地球期にいる。より詳しく言えば、7段階の遊星期における第4番目の地球期の、7小循環における後アトランティス時代の、7 区分における第五文化期だ。シュタイナーは魂的諸状態を形象として観察するこうした能力を現在の地球期の人間が持つことはできないとし、この能力が生まれてくるのは次の第五の惑星進化期である太陽期だとしている。
シュタイナーのシナリオから言えば、ヌーソロジーは明らかに宇宙のルール違反者、早すぎた受胎とも言えるのだが。。ボクは負けないぞp(^ ^)q
さて、OCOT情報との比較だが、とりあえず、シュタイナーのいう7段階の遊星期=脈性観察子、7小循環=大系観察子、7つの文化期=次元観察子という対応がそれなりに成り立つように感じている。ただ、現在が脈性観察子Φ11〜12(脈性としての第四世代に当たる)に含まれているかどうかは怪しい。それが全体の論理立てとして美しいことはよく分かるが、OCOT情報に拠れば、今回の交替化が「オリオンと太陽系精神の交差」おける最後の交替化だと言って来ているからだ。つまり、何かフィナーレ臭いのである。僕が「未だ人間は土星期にいるのではないか」と考えているのも、このフィナーレが始まりの土星期に繋がっている感覚がしてならないからだ。それにヌーソロジーの発祥が土星の衛星の「タイタン」だったこともある(このへんは感覚なので適当に読んで下さい)。
さて、シュタイナーとの最も大きな齟齬は時間の尺度。OCOT情報では前に示した脈性観察子の諸段階は、調整期(現在)の人間の時間概念に翻訳するならば、わずか約416.000年ですべて終了するとしている。これはマヤのフナブク・インターバルの4周期分である(フナブクが大系観察子の世界に相当します)。
地質学的年代の常識からすれば、これはヘソが茶を湧かす主張。しかし、地質学が放射性崩壊の半減期に絶対的な信頼を置いて年代測定を行っていることの本質的な意味を考えると、OCOT情報を一蹴するわけにもいかないんだな、これが。科学が年代測定に用いる放射性同位体とは一体何か考えないといけない。
OCOT情報では放射性同位体とは「原子に反映された人間」を意味する。放射性同位体は不安定なので、つまり、存在に不安定さをもたらす要因がどうも人間だということだ(笑)。存在自体はこの不安定要因を消そうと放射性同位体を安定同位体に向かわせようとしているだけ。ここでは人間自身が安定の方向に向かえば、放射性同位体は一気に姿を消すというストーリーになっている。
もしほんとうにそのような仕組みで原子の世界が営まれているのであれば、科学が行っている年代測定などは全くの架空のフィクションにすぎなくなる。
放射性崩壊の中でも核分裂なんかはほんと「原子に反映された人間精神の最下層」と言っていいように感じる。ウラン以上の核種は実は原子(宇宙精神の投影という意味では)ではない。それは精神進化が裏返っている部分がくっついて出て来ているのだ。つまり比喩でも何でもなく、ほんとうに悪魔的なものだということだね。
By kohsen • 01_ヌーソロジー, シュタイナー関連 • 0 • Tags: OCOT情報, アストラル, アトランティス, エーテル, オリオン, シュタイナー, 大系観察子, 次元観察子, 素粒子