3月 5 2005
S.S.D.D.
カゼで寝込んで、今日で四日目。
何やらここのところ闘病日記のようになっているが。。。
どうにか動けるようになったので、
今日はTVでも見るか。
奥さんに温かいココアをマグにたっぷり入れてもらい、準備は万端。
厚手の寝間着を二重三重にまとい、完全防備でリビングを占拠。
ガハハハ、今日はゆったりとプレミアシートで映画鑑賞じゃあ〜——。
と思いきや、スターチャンネルでは「ドリームキャッチャー」しかやっていない。。
原作はスティーブン・キング。監督はよく知らんなぁ。。
この映画、見るからにB級なんだけど、お金だけはかかってるせいか映像はやたらときれい。それに比べクリーチャーがやたら安っぽい。わざとか。
映画の内容は、よくあるエイリアン侵略モノに「スタンド・バイ・ミー」のノスタルジーと「シャイニング」の恐怖を加味したような、ごちゃまぜチャンポン作品である。とてもカゼを押してまで見通す作品ではないのだが、ついに勢いで最後まで鑑賞してしまった。
そ、それにしても、、なんやねん。。この結末は。。何とも中途半端。百歩譲って、狙いは分からんこともないが、キレてないのよねぇ。どうせやるなら、タランティーノの「フロム・ダスク〜」並にとことんやってくれぃ。。。ココアの飲み過ぎで胃ももたれ気味。こういうときはわたしは機嫌が悪いのだ。その勢いでついついガラも悪くなる。
最近、つくづく感じることなのだが、ハリウッド映画の質が以前にもましてさらに落ちまくっている。脚本を何通りか作り、おそらく、違う結末のヴァージョンのものも何種類か撮るのだろうと思うが、どうして、こんな結末が選択されなければならないのか。どうして、内部試写会でも何でもいいから、「これは止めましょ。」って、誰も止めないのか。だいたい日本映画のリメイクなんぞするようになったらもうオシマイではないか。。
それにしても、何でこの映画にモーガン・フリーマンなんぞが出てるんだ。しかも、力んだ演技が映画のコミカルさを台無しにして、無茶苦茶浮いている。番組表を見てみると、モーガン・フリーマン、アカデミー賞受賞記念特集だって。。。そんなアホな。よりによって、ドリームキャッチャーが彼の代表作なわけないだろう。。あ〜あ、また熱が出てきた。
こんないい加減な企画をやるからスタチャンもダメなんだよなぁ。
唯一の救いは、子役たちの演技だな。特に、最後に世界を救うことになる知的障害者のダディッツ少年を演じた役者が何ともいい。それに、4人の少年たちの合い言葉もイカしていた。
「S.S.D.D.」
Same shit, different day.——日は違っても、同じクソ。笑える。
なんともアメリカ人的なこの情緒の無さ。
世の中、そんなに新しいモノなんて簡単には出てきやしない、といったような意味だろうか——。
Same shit, different day.——日は違っても、同じクソ。
………全くどこもかしこも、仰せの通りである。
4月 7 2005
大空のサムライ
昼間、電話で取引先のR社のF社長と広告の件で打ち合わせしていたところ、F氏が唐突に「半田さん、大空のサムライ見ましたよ。」と言ってきた。大空のサムライ?…はて、どこかで聞いた事があるようなないような。。「半田飛曹長、出てましたよ。」………ああ、大叔父さんの話しか。。。大叔父さんはかなり有名な零戦乗りだったんだ。映画にもなってるんだよね。名前もハンダワタリっていうんだよね。ワタリだぜ。カッコいいべ。そうやって、以前、F氏に自慢げに話したことがあったっけ………。
うちの大叔父の当時の様子は、坂井三郎という大叔父のライバルというか、太平洋戦争当時の日本の撃墜王が詳しく本に書いている。大叔父もかなりの名うてのパイロットだったらしく、映画の中では島田順司という渋めの役者が演じていた。しかし、実際の写真を見てみると、信じられないだろうが、もっと二枚目である。別の零戦ものの映画で「ゼロ戦燃ゆ」というのがあって、こちらの作品では草刈正雄が半田亘理役をやっていた。再び、信じられないだろうが、実は、こっちの方が実物に似ている。。。
はて、わたしはここで、零戦乗りの大叔父の自慢をしたいのか、彼がとてもクールな二枚目だったことを自慢したいのか。。たぶん、そのどちらも違う。大叔父も坂井も戦争では死ななかった。坂井はその後、世界中でベストセラーとなった「大空のサムライ」を書き、それなりの地位と名声の中に生きた。半田亘理は違う。台南航空ゼロ戦隊にいたとき、ラバウルで不運にも結核を患い、翼をむしり取られた鳥のように、傷心のままひっそりと本土へと戻っている。彼は故郷の久留米にもいることができず、そのまま熊本の人吉というところへ身を隠すように移り住む。そして、戦後、人知れず、そのまま結核が原因で他界した——。そんな大叔父の短い一生の物語を、わたしは幼少の頃、父から何度も聞かされて育った。父にとっては大叔父は誰よりもかっこいいアイドルだったようだ。休暇で大叔父が帰ってきたときには、必ず、金魚のフンのようについてまわり、映画やダンスホールに連れていってもらったらしい。父曰く、そのときにおごってもらう珈琲が何よりも愉しみだったという。しかし、珈琲は気前よく何杯もおごってくれたが、零戦での戦闘話をいくらねだっても、決して戦争の話はしてくれなかったそうだ。わたし自身は、そのとき、まだ、父のDNAの中の片隅に紛れ込んでいて影も形もなかったわけだが、なぜか父の目を通して、この孤独な零戦乗りの横顔を眺めていたような記憶がある。
たとえそれが喜劇であれ、悲劇であれ、身内に物語を感じさせてくれる人物がいるのは有り難い。物語の中で記憶は歪曲化され、やがては別の物語と接合し、まわり回って自分の等身大の現実の中へと重なり合うように巡ってくる。わたしの人生は大叔父ほど劇的ではないが、それでも、一つの物語であることに変わりはない。人は物語がなければ生きていけないからだ。物語はかならず別の物語を語りたがる。が、しかし、別の物語が存在したためしはない。
By kohsen • 08_映画・テレビ, 09_その他 • 3 • Tags: DNA