9月 12 2025
視線の深みで空間が沈む
ひとつの物が、
そこにあるように見える──
それは、
波のような透明な呼吸、
ψ(r)という名の、
世界を起こす静かな力。
その震えは、まだ形を持たない。
だが確かに、
空間の奥にむかって、
「ある」を言い始めている。
それに呼応するように、
空間が折り返し、
沈み込み、
意識の重さに従って湾曲してゆく。
gμν──
それは、
見えてしまったものに対して、
わたしが世界を整えてしまう癖のようなもの。
ψ(r)が、ものを見させる。
gμνが、それを抱え込む。
生まれてくるのは、
生成としての“在る”──
言葉になるよりも前の、
ひとつの深い現れ。
世界は、
精神の奥に芽生え、
意識のふちで形を帯び、
空間としてわたしに返ってくる。
重さとは、
その往復が濃く、深く、
一点に凝縮されたときの、
視線の止まり。
わたしはもう、
外を見てなどいない。
内側の生成が、
この世界を支えているのだ。
9月 13 2025
内への思考
わたしはもう、
外を見てなどいない。
内側からの生成が、
この世界を支えているのだ。
………
私たちはふつう、「外の世界」があって、それを「自分が見ている」と思っている。でも実際は──その“外の世界”は、それぞれの私の世界の中で“見えとして生まれている”ものだ。
私たちは、外の世界をただ見ているのではなく、
“世界が見える”ということそのものを、自分の内側で起こしている。
つまり、「現実」は外から与えられているのではなく、わたしたちの“意識の深い働き”によって、内において生成され、支えられているということだ。
それは一体どのようにして?
これからは、この謎を解く方向に思考を働かせていかないといけない。
この謎を解くのは不可能ではない。
新しい思考を始めよう。
ヌーソロジーはその先駆けのようなもの。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0