ついでに、上と下

5d_sphere
 ここ2回にわたって、僕らの周囲に広がる左右や前後の空間が、単なる3次元という概念では全く収まりきれないものであるということを話してきた。何分にも走り書きのような文章なので理解しづらい部分もあったと思うが、僕がここで言いたかったのは、人間の空間認識のカタチを考慮に入れれば、4次元に始まる高次元世界というものを僕らは十分に捉えられる知性を持つことは十分に可能だということである。モノを見るのではなく、モノを見ているものを見ること。これがヌース理論でいうところのトランフォーマー型ゲシュタルト(あまりいい命名ではなかったが、まぁ、ヌースはエンターテインメントなので、こうした言い方も許されるだろう)というものだが、これは俗的な言い方をすれば高次元知覚のことに他ならない。高次元は決して空想的なSF小説の世界で描かれているような突拍子もない異形の世界ではなく、生きている僕らとともに、今、此処に同時に息づいている実在の世界なのである。ヌースでは何度も言ってきたことだが、「わたし」の意識の活動を可能にさせている力の在り方自体が高次元の幾何学的構築物となっているということだ。

 では、トランスフォーマー型ゲシュタルトにとっての宇宙空間とはどういうものだろう。現在僕らが所持している科学的宇宙観(人間型ゲシュタルト)では宇宙空間の広がりは単にモノの3次元の広がりと何ら変わることはない。宇宙のずぅ〜と先に行こうが、平板的で均質的な3次元空間が無限に広がっているだけだ。そういった認識の在り方では、宇宙空間は時空R(1,3)か、せいぜい膨張時空としてのド・ジッター群S0(1,4)どまりの次元しか持たない。

 しかし、何度もいうようにこうした空間の描像は「身体の後ろの空間の集合」にすぎない。前が欠落しているのである。いや、もっというならば、左右や上下も欠落している。現実に見えて、感じられている身体側にとっての宇宙空間には何一つ接触を持っていないのだ。つまり、それはいわば、長い間水の中に沈められ、魚眼と化したナルシスの目によって屈折させられた知識なのである。両生類的生き物であるトランスフォーマーの見方は全く違う。地球を起点としたときのその外部の空間は、当然のことながら、そのすべてが高次元空間である。それは5次元から始まり、無限次元の重なりを持っている。

 それはどういうことか——前回、僕は実存としての人間においての前後軸、左右軸はそれぞれ4次元、5次元と考えられると話した。今、大地の上に立って生きている自分自身の前後方向と左右方向をずっと延長させていってみよう。もちろん、実際にそのラインに沿って移動してもいい。僕自身はまだ直接、経験したことはないが、おそらく、それらの方向はどちらも円環状にぴたっと閉じていることだろう。つまり、地球表面は人間の身体の左右と前後の名において球面を形成しているということだ。ここに出現してくる球面は、人間という認識する質点を地球上に配しているという意味において単なる2次元の球面なんかではない。前-後、左-右がそれぞれ4次元と5次元に当たるならば、それは5次元の球面として解釈される必要がある(嗚呼、何と分かり易い5次元か。嗚呼。)。つまり、地球表面は人類全体が意識する前後と左右という空間の方向性で二重にラッピングされているのだ。このラッピングされた球体のことをヌース理論では「覚醒球」と呼んでいる。