5月 27 2019
人間の世界認識の一番の問題点
ヌーソロジーでは他者のことを総体の定質、自己のことを総体の性質と呼ぶ。
『奥行きの子供たち』で紹介したカバラの「生命の樹」でいうならケテルとマルクトの関係だ。
これはほとんど人間と神の関係と言ってよいものだ。
しかし、今の僕らは自他を「人間」という概念で一括りにしてしまっていて、自他間に潜むこのような距離がまったく見えていない。
この本で書いた「ケテル-マルクト結合」というのも、自他を一般化して見なすこうした人間の運命的な視点のことを意味している。
物質オンリーで世界を見る科学主義は言うまでもなく、歴史、社会、政治といった人文系の様々な概念も、こうした「ケテル-マルクト結合」の領土内から一歩も出ることができていない。
意識に映し出される自他関係の由来は、私たちが考えているよりもはるかに深いものなのだ。
まずは、そのパースペクティブをセットしよう。
※下写真は『奥行きの子供たち』P.104





5月 31 2019
離別しつつある円と直線―最近の実在論にはついていけない
内部と外部の遮断問題は円と直線の関係に集約されていると思っているのだけど、最近の実在論(メイヤスーのSRやハーマンのOOO)というのは結局のところ、円を棄却する方向に向いているのだな、と。円にとって直線は微分された世界でしかなく、円を失えば直線は自分自身の根拠を失うと思うんだけどね。
これって、地球を出て宇宙植民で生き延びようとするアウタースペース的発想と位相同型かもね。彼らは、それこそ〈地球=大地の意義〉になど何一つ関心がなくて、ただの環境ぐらいにしか思っていない。円から離脱した直線はどこに向かうのかね。
円と接線というのは、哲学的には相関主義のシンボルのようなもので、相関主義を乗り越えるためには結局のところ、直線を選択するか、円を選択するか、その二つしか道はなくて、21世紀の哲学は直線の選択に大きく傾いているってことなんだと思うよ。ヌーソロジーは真逆で、円を選択しているんだけどね。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0