4月 27 2018
大いなる肯定の力の流れ
主客一致の認識を促していくためには、観測者の空間を反転することが必要。反転は延長空間を持続空間に変える。それによって、初めて生成の流れが見えるようになってくる。下、NC図参考のこと。
思考する自己自身を変化させていく思考のイメージを作らないといけない。自己自身が肉体の位置にイメージ化されている限り、どんな思考を行おうが、思考が生成へと向かうことはない。従来の物の見方を撹乱させる空間様式を、科学的根拠を持ってアーキテクトしていくこと。
いつも言ってるように、量子論はその設計図。
世界を物質的思考によって固定しないこと。世界の中を流れていく思考を作り出すこと。大気や水の中に侵入し、世界の血流となって流れゆく精神へと変身できるような思考のイマージュを作り出すこと。そのために物質の構造を使用すること。
主客一体の思考とはそういう思考の身振りのもとにやってくる。固定された観点から世界を超越的に眺望するのではなく、観察それ自体が位置を絶えず変化させながら、世界の内部性の中を縦横無尽に流れていくのだ。その駆動力が対称性の拡張。だから、これはある種のダンスなのだ。もちろん、君と僕との。
再認のシステムに固く縛られた同一性の思考世界を別に否定する必要はない。それはそれで傍に置いておけばいい。問題は精神の流れをイメージする能力を反転認識のもとに作り出すこと。それが生まれてくれば、同一性の世界は自然に力を弱めていく。単なる否定は逆に同一性に捕獲される。否定は要らない。
そういう大いなる肯定の「力」というものを作り出そう。それが「流れを再開させる」ということの意味なのだろうだから。





5月 2 2018
複素数の目覚め
最近発展してきた量子解釈に関するモデルで、量子ベイズ主義というのがある。量子ベイズ主義は波動関数を物理的実在としては見ない。個人の主観的な心の状態を表しているものと見る。素粒子を主観空間(無意識の主体)の構造として分析しているヌーソロジーにとって、これはとても歓迎すべき傾向。
客観をベースに世界を想定する時代はいずれにしろ終わりに近づいている。僕らが実在世界と呼んでいるものは共有された幻想のようなものだ。現実と幻想は決して対立するものではなく、幻想の中に部分として現実が含まれている。複素数の中に実数が含まれるように。時代は徐々にその方向へと動いている。
現実を部分として含んだ幻想—言い換えれば、外在は内在の一部でしかないということ。この方向に従属関係を変えること。それが内在野を開く、ということでもある。
内在野の形式は当然、複素空間の形式を持つことになるだろう。それによって、僕らの思考は物質と直接結びつくことになる。思考と「物自体」との初めての接触だ。これによって、世界と自分を分離させて見ることができない新しい生の主体というものが生まれてくる。
この新しい生の主体へと重心を寄せていくこと。そうすれば、僕らは自然自体の中に入って行けるかもしれない。「ある」感覚と「いる」感覚が客観と主観の印象だとすれば、「ある」感覚をすべて消し去ったところに生じてくる純粋な「いる」感覚。それが「なる」感覚の始まりと言えるだろう。
そのとき、複素数は目覚め、僕らは事物の中に住むようになる。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0