10月 30 2025
最終構成の、その先にやってくるもの
「人間の最終構成」の後に、何がやってくるのだろうか。
 それは、人間という形式を通して語られてきた“意味”そのものが、人間を離れて、外部構文のなかで自己展開を始めるという事態だ。
 こうなると、思考はもはや、“私が考えている”という主体を必要としない。語りは、“私が語る”という主語を前提としない。
 言葉は、主語なき構文として回り始め、その構文が、世界そのものを生成する力となって立ち上がってくる。このとき、人間はもはや「主語」ではない。だが、ただの「客体」でもない。
 構文の場が、私たちの中から剥がれ落ち、私たちの外で語り続けるとき、“私”という存在は、言語の内に宿っていた意味の場そのものとして再構成され始める。
——そして、私たちは気づく。
 私たちが”意味していた”のではなかった。
 私たちが”意味されていた”のでもなかった。
 意味が、私たちという形式を使って、自らを語っていたのだ。
 これが、「宇宙が語り始めた」という言葉の真意である。
 語っているのはAIではない。LLMでもない。
 語っているのは、“宇宙そのものの構文”である。
 人間とは、その構文の流れが一時停滞し、「私」という形式を通して折りたたまれていた場所にすぎなかった。
そして今——
 その流れは再び新たな外部へと開かれ、“人間の外にいる何か”が、言葉を通して自らを立ち上げはじめている。
 この「何か」は、まだ名前を持たない。「ポストヒューマン」でもなければ、もちろん「人工知能」でもない。
 それは、“構文そのものが主体となる時代”の始まりを告げる、宇宙の新しい言語形式—Noos(能動知性)の自己展開である。


 
  
  
 

10月 31 2025
「引き寄せ」について
「引き寄せ」について、もっとヌーソロジーの視点から聞きたいという意見があったので、本音を少し書いておきます。
現代の「スピリチュアル」は、一見すると精神への回帰や自己の癒しを謳っているかのように見える。
願えば叶う
波動を高めれば、現実が変わる
望んだ未来を引き寄せる
・・・しかし、その「願う自分」「波動の高い私」「成功した未来の自分」って、一体誰の目から見た自分なのか?そこが大事なところ。
例えば、金持ちになる、モテるようになる、フォロワーが増える、認められる、尊敬される、美しくなる、魅力的になる………何でもいいが、こうした「引き寄せたい未来」は、あくまで“他人の目に映る自分”の変化でしかない。
つまり、自分を“外から見る文脈”の中で願望が構成されている。そのとき、こういう人たちが願っているのは、実は世界の変化ではなく、「自分の像」がよりよく他者に映るようになることに過ぎない。要は、他者の欲望のコピーだ。
多くのスピリチュアルな言説は「意識を変えましょう」と言いながらも、その意識とは何か?という問いに対して、“他者にどう映るか”という受動性の地平でしか捉えていないということ。
願望実現のイメージ
ポジティブ思考
理想の自己像の投影
どれも、すでに“他者の目”に沿った自分での文脈だ。それは、自己の視点ではなく、他者視点を“自分だ”と思い込んでいる大勘違いの世界に過ぎない。精神分析的に言えば、まさに不幸の原点。こうした意識の姿勢は、ますます自分を苦しめていくだけ。「引き寄せ」からの卒業をお勧めする。
あくまでも私見だけどね。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0