12月 15 2017
日本語の位置
日本語は付帯質を前に持つ、とOCOT情報はいう。これは、日本語が人間の外面に主体を感じ取っていることを意味している。その意味で言えば、日本語とは”感性”言語であり、持続的な言語であると言える。
「もの」の言語と言い換えていいかもしれない。別の言い方をすれば、「あなた」の言語でもあり、主体は二人称にあるともいえるだろう。言葉が最初から相手の立場に立っているということだ。ここでは「わたし」は「汝の汝」として感じ取られる。
一方、他の多くの民族は付帯質を後ろに持っていると言う。こうした言語においては、主体は見られるところに作り出される。一神教であれば、神によって見られている自分という形で、自らを神の眼差しの中に措定するのだ。
このような言語は”思形”言語であり、「延長」の言語であり、「肉体」の言語であり、「わたし」の言語であり、主体は当然のことながら一人称にある。
観察子構造から見ると、付帯質を前に持たせている力の本質は、ヒトの定質という力にある。シュタイナー的にいうなら、これはアストラル界の力だ。一方、付帯質を後ろに持たせている力の本質は、ヒトの思形という力にある。これは、エーテル界の力に対応する。(下図は次元観察子に凝縮化させて表現)
アストラル界はすでに次元の交替化を二度持っている。
君は日本語の位置を正しく感じ取っているだろうか——。





12月 18 2017
トランスフォーマーにおける絶対的外部感覚(人間の意識の外)のニオイ
今月9日のヌースアトリウムで僕が話したのは、おおよそ次のような内容です。
SU(2)が活動している複素2次元空間というのは、見るものと見られるものとが一体となった空間です。この空間での一回転は3次元空間での720度回転に当たります(下アニメーション図1参照)。
これは3次元空間上のベクトルが二つのスピノルの重なりからできていることを意味します。その重なりの意味がそのままヌーソロジーでいう「表相の等化」に当たります。
本来、自他とは反転した空間の表現として存在させられているのですが、それらが複素2次元空間の中で起こっている回転の中で同一化させられて、その持続空間的存在としての自他の分離が見えなくさせられているわけですね。
ヌーソロジーでいう「表相」とは一つの物体の見えのことですから、例えば、下のアメスピのパッケージのファサードデザインを自己と他者が同一のものと見ることが「表相の等化」の意になります(下写真図2)。このとき、表相が自他の持続空間を「等化」しているということです。
人間の空間認識は3次元認識が先行しているので、同じファサードを自他がそれぞれ見ていると考えるのですが、本当は逆で、表相が自他それぞれの持続空間を等化しているから、人間に3次元空間の認識が生まれているのです。
複素2次元空間(持続を虚軸と見なしたときの自他空間という意味です)が知覚できてくると、そのことがよく分かってきます。
これも、3次元認識を主に置いた説明になってしまいますが(わたしたちの空間理解がそのようになっているから、説明上仕方ない)、物体の表面には無数の無限遠点(主体の位置)が射影されてきています。その射影性において物体を見ると、物体の回転はSU(2)に見えてきます。これもヌーソロジーのバイスペイシャル認識が生み出してくる高次知覚の一つです。
トランスフォーマーの空間認識が持った「もの」なる、という絶対的外部感覚が少しはニオってくるのではないでしょうか。
こうしたマルチ(多重)空間の操作を裏で行なっている機構が、ヘキサチューブルです(下図3)。今の話の場合だとψ7〜8をψ1〜2レベルへと凝縮化させて、重畳させてくるわけですね。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0