12月 8 2009
電波中年
今月19日は東京で生物学者の大野さんやアーティストの日比野さんとのトークショーが予定されている。大野氏のアカデミックに裏付けされた緻密な知識と日比野女史のアーティストとしての繊細な感性にヌーソロジーがどう立ち向かうか戦略を練らなくてはならないところなのだが、ここのところ忙しくていかんせんゆっくり考えるヒマがない。一人電波となって浮くのはやだ(笑)。。
生成世界は二段階構造を持っていると考えられる。無からいかにして物質が創造されたのかという問いと、単なる物質からいかにして生物が生まれたのかという問いは、おそらく同じ問いを一段階界目で見ているか二段階目で見ているかの違いに過ぎない。ヌーソロジーで言えば第一次交替化と第二次交替化の違いだ。物質は光子から生まれ、生物はDNAから生まれる。この論法で行けばDNAとは生成の二段階目における光子のことではないかということになる。物理学では光子も光も電磁場の仲間であって、それらは単に振動数の違いとして解釈されるだけだが、ヌーソロジーにおいてはそうした量的な差異だけではなく両者には本性上の差異があると考える。それは端的に言えば、無時間の中の精神か時間の中に落ちた精神かの違いである。時間の中に落ちた精神は「有機体」と呼ばれ、それは実存を見失ったわたしたち自身の知覚空間のことに他ならない。つまり、秒速30万Kmで進むとされている物質的表象の中で解釈された光のことだ。
OCOT情報ではこの物質化した光とDNAが同じものだと伝えてきている。ただ問題はDNAと光が同じものという内容が一体何を意味しているのかということだ——DNAの両脇を固めている元素から考えると、この物質化した光の世界への入口は原子番号15番のリンと深い関係を持っていると思われる。リンは英語ではフォスフォロス(Phosphorus)。この言葉の元来の意味は「光を運ぶもの」だ。つまり、旧約でいえばリンはルシファーの意となる。タロットカードの第15番は悪魔。おもしろい符号だ。OCOT情報でもリンは「付帯質の念因」と呼ばれ、想像的自我の基盤となる位置を支えるための本源力となっている(ψ4を裏で支えるψ*3に対応するということ)。それは実質的には他者の視野空間を意味するのだが、これは自己にとっては鏡の役割を果たす空間だ。つまり主体はリンによって闇に落とされ、身体を物質的なものとして捉え、その物質的闇の中で闇の光としての言語のネットワークを張り巡らせていく。そこに有機体の活動が生まれているということだ。DNAとは言語によって紡ぎ出されて行く概念そのものの構造(OCOT情報)。茫洋とはしているもののそれなりに筋は通っている。DNAはgeneでもありmemeでもあるということなのだろう。とすれば、生命の本質は光ではなく闇にあるということになるのだが。。
ん〜、こんな話しても完全に電波だな。。ど、どないしよう(笑)。。。
というわけで、イベント当日も変な話ばかりして浮いてしまう可能性がありますが、こうしたスキゾフレニアックな話に興味がある方は是非、会場に足をお運び下さいませ。主催者によれば、まだ幾分、席に余裕があるそうです。
この対談イベントに関する詳しい情報はこちらへ→『BETWEEN TIDES 生命の音楽 第二章』
12月 15 2009
NOOS LECTURE 2009 VOL.5、無事終了
今年最後のヌースレクチャー。無事、一昨日終了しました。
参加していただいた皆さんには心より御礼申し上げます。
今回は今年最後ということもあって、いつもより多くの人が集まってくれた。スタッフ合わせて総勢33名。お世辞にも広いとは言えないアカデメイアのオフィス内は暖房を途中で止めなくてはいけなくなるぐらいの熱気に溢れていた。
今回のテーマは4次元。まずは『光の箱舟』でも触れた4次元思想について簡単に話した。4次元思想とは19世紀末から20世紀初頭の欧米で流行した思潮で、人間性が持った限界を道徳や倫理といった宗教的な側面からではなく、4次元知覚の獲得というゲシュタルト変換によって突き破ろうとする、まぁ、一種の知性改善運動のようなもののことだ。ヌーソロジーも入口の部分はまさにその手の方法論を踏襲していると言ってよく、4次元の何たるかを考えることから始まる。一通り4次元思想家たちの話を紹介したあと、いよいよヌーソロジーが説く独自の4次元論に突入。
ヌーソロジーが説く4次元——ヌーソロジーが用いる次元観察子という概念への進入口は3次元空間の反転認識にあるのだが、これは言い換えれば正の4次元と負の4次元の区別を見いだすということと同じ意味だ。正の4次元というのは4次元ユークリッド空間、負の4次元というのは4次元ミンコフスキー空間、すなわち時空のこと。ヌーソロジーのいう人間の外面(主体極)が4次元空間に当たり、人間の内面(客体極)が4次元時空に相当する。4次元時空は空間と時間だから、結局は、反転した空間とは4次元空間に相当することになる。
それから、この4次元空間と関連する哲学者の思想についての話をしていった。G・ライプニッツ、A・ベルクソン、M・ポンティ。一人当たり1時間とっても時間が足りないくらいのメンツだが、この3人の大御所の思想を1時間強でダイジェストし、ヌーソロジーとどのような関係にあるかについて話した。
最後に、どうして人間の認識が4次元空間ではなく、4次元時空の方に陥っているかについて、ラカンの鏡像段階論を借用しながらその理由について話した。僕らは鏡の中の空間で生きている。物質世界は実は見えない世界で、心の世界が見える世界だ等、いつもの通りヌース節を連発させたのだが、会場に来ていただいた皆さんにうまく伝わったかどうかは前回よりも自信がない(笑)。
まぁ、今回は哲学的な話が多くて難解だったかもしれない。。ちょっぴり反省。次回はまた趣向を変えて臨みます!!
それにしても来ていただいている方々の人柄に助けられて、レクチャーも楽しくやれている。重ね重ね感謝の気持ちで一杯である。
By kohsen • 01_ヌーソロジー, 02_イベント・レクチャー • 2 • Tags: 4次元, ベルクソン, ミンコフスキー空間, ユークリッド, ライプニッツ, ラカン, 光の箱舟, 内面と外面