4月 9 2025
神秘主義を超えて
時間は流れているのではなく、永遠と瞬間の間を反復している。反復なのだから、この永遠と瞬間の場所を見つけないと時間を観ることはできない。永遠は見る側に、瞬間は見られる側に生じている。ヌーソロジーでいう人間の外面と人間の内面という概念も、そのそれぞれの場所のことを意味している。
私たちが時間を流れとして感じるのも、見られる側にしか意識が向いていないからだ。見る側が無意識化しているということ。見られるところに外が生まれ、見るところに内が生まれている。客観と主観。永遠としての純粋な主観空間を想起しよう。それによって、自分自身が時間だという感覚が生まれてくる。
ただ、こんなことをいくらつぶやいても神秘主義めいた哲学の響きしか持たないのもまた事実。だからこそ、科学的な論理に裏付けされた宇宙的な事実として、この「私とは時間だった」件が多くの人の間で取り沙汰されないといけない。
人間とは時間である。そして、時間とは空間のことでもある。人間と時間と空間・・・。この三つの「間」が私たちの思考と感覚の中で一致を見たときに、私たちは初めて存在の名のもとに生きることができるようになる。
4月 10 2025
主観が客観を受精する—霊的受胎について
人間=時間=空間。こうした古くもあるけど新しい世界認識を、内的客観性を担保しつつ作っていくためには、理性が主観の中に切り込んでいくしかない。
近代科学から相対論や量子論へと進んできた科学理論だけど、この流れには先があるってことなんだよ。従来の科学を終わらせる、という先がね。
科学(客観)が主観に入り込んでくるわけ。
それをヌーソロジーは「顕在化」と呼んでいる。これは無意識が意識化されることを意味していて、端的にいうなら、主客一致の思考が誕生すること。
これによって、ようやく真の二元論が見えてくる。二元論とは主観と客観の間にあるのではなくて、主客分離の世界と主客一致の世界の間にあるってこと。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0