東京ヌースアトリウム第2回、無事終了しました

日曜日のレクチャーはたくさんの人に集まっていただき、ほんとうにありがとうございました。ホンマ、亀の歩みがごときではありますが、ヌース的レジスタンスを多くの人たちと共有できていければな、と思っています。
 
レジスタンスと言っても、ヌーソロジーの場合は現行の政治システムや経済システムに反旗を翻すことを言うのじゃないよ。他者ではなく、自己意識の在り方自体に真っ向から対抗する思考形態を育てていくことを言うんだよね。いわば、内在野におけるバトルだね。反転認識の達成とはそういうもの。
 
幅認識から奥行き認識へ。流れる時間認識から流れない時間認識へ。こうした認識のもとに立ち上がってくる異質な空間風景を地道に描写していくことによって、物質空間を精神空間に塗り替え、存在世界を今までとは全く違う言語体系で語れる能力を養っていくところにヌーソロジーの醍醐味はあるんだよね。
 
今回のレクチャーでも、そろそろその辺りを強調せんといかんなと思って、ヌーソロジーの次元観について詳しく話しました。
 
普通、空間の「次元」というと、僕らは線分の直交性で思い描いてしまうよね。たとえば、線は1次元、面は2次元、立体は3次元とか思い描いてしまうんだけど、「そういったものは次元とは呼ばんよ。次元が全く見えていない認識の次元観にすぎない!!」と断言しました(笑)
 
じゃあ、ほんとの次元観はどういうものであるべきかというと、「それは、層状にかたちを持つ」と説明しました。「層」というのは同心球のイメージだね。球空間が多重に折り重なって層を作っている。たとえば、太陽系軌道とか原子の電子軌道なんかをイメージするといいよ。それらは現象世界に多重な「層」として現れているでしょ。
 
こうした層は、延長認識では、それぞれ長さの違った半径を持つ球空間ということで片付けられちゃう。つまり、3次元空間の広がりの中で認識は躊躇することなくこの層をスーッと通り抜けて行っちゃってるんだね。この通り抜けが人間の現在の空間認識には次元が全く見えていないことを端的に物語っていると思っていいよ。
 
何でこんな粗雑な空間認識になってしまっているかというと、見ている自分の眼差しを宇宙の中に入れていないからなんだ。観測者を特権的な位置に仕立て上げて外部の空間を見てしまっている。だから、本来、精神そのものとして働いている空間の本質に思考が触れることができないでいるんだ。
 
「層」としての次元というのは精神が作り出しているので、幅に依拠した延長認識では絶対に認識できない。要は、奥行きに依拠した持続空間が見えてこないと本当の次元を認識することは無理なんだよね。つまり、真の意味での次元とは奥行きの空間=持続空間が作っているってことなの。
 
数学の世界ではn次元の多様体が語られるにもかかわらず、人間が意識する空間が3次元で打ち止めになっているのも、空間を幅で見ているからなんだよね。ほんとうの空間は無限次元と言っていいような奥深さを持ったものなんだ。それは精神の無限性、すなわち霊的無限を意味している。
 
今回のレクチャーではプラトン立体とは何かを説明していくにあたって、この持続空間で生じている最も基本的な四つの「層」について説明した。とりあえず下に挙げとくから、ヒマな人はこの四つの空間の違いについてじっくりと考えてみてね。
 
●本当の次元を作っている最初の四つの球空間の層(下図参照)
 
1.一つの物体の内部の空間・・・点球次元
2.一つの物体の周囲の空間・・・垂子次元
3.一人の人間の周囲の空間・・・垂質次元
4.無数の人間の周囲の空間・・・球精神次元

―― 点球、垂子、垂質、球精神はそれぞれヌース用語
 
今の僕らは、これらの空間をすべて3次元空間で片付けてしまう。そうした見方がいかに野蛮で暴力的か。延長意識というのはホント、無節操で、存在の襞の感受性をマヒさせる催眠術のようなものなんだよね。

ケプラーの星型八面体と四つの観察次元