4月 24 2018
flow-er(流れびと)になるために—
時間と空間の中で物質たちを対象のように考えてしまうと、
それはどうしてもバラバラな部品の組み合わさった機械のように見えてしまう。
無機物にしろ、有機物にしろ、そこにメカニズムを見て取ろうとしてしまうんだね。
科学の考え方はそういうもの。
しかし、奥行きに潜む永遠の中で物質たちを感じ始めると、
それらは分割不可能な一つの精神の力の流れのようなものに感じてくる。
その始源は、素粒子物理学が「力の対称性」と呼ぶものにも表されている。
素粒子自体はそこに永遠をはらんでいるので、非局所的なものではあるのだけど、作り出すのは「局所的」な対称性。
これは、永遠(非局所)の流れが瞬間(局所)と繋がりながら、より大きな永遠を生み出していくための渦のようなもの。
こうした力の流れのことを僕たちは「意識」と呼んでいる。
だから、「ここ・いま・わたし」という局所は、
その流れの中で「どこでも・いつでも・だれとでも」というように、より大きな永遠の流れと繋がり合って、一つの流れの全体として生きている。
物質たちを幅の中で外部から観察しても、決してその流れを見ることはできない。
科学的な思考が生命を維持する原子や分子の「運動」がどの様なものであるかを未だに解明できないのも、物質を見る方向がひっくり返っているから。
物質たちは無機物であれ、有機物であれ、生命として奥行きを通した永遠において、内側から生まれている。
これからの時代はそういう考え方をデフォルトにしていく必要がある。
フローの花々(flow-ers)をそこかしこに咲かせるためにも。
4月 27 2018
大いなる肯定の力の流れ
主客一致の認識を促していくためには、観測者の空間を反転することが必要。反転は延長空間を持続空間に変える。それによって、初めて生成の流れが見えるようになってくる。下、NC図参考のこと。
思考する自己自身を変化させていく思考のイメージを作らないといけない。自己自身が肉体の位置にイメージ化されている限り、どんな思考を行おうが、思考が生成へと向かうことはない。従来の物の見方を撹乱させる空間様式を、科学的根拠を持ってアーキテクトしていくこと。
いつも言ってるように、量子論はその設計図。
世界を物質的思考によって固定しないこと。世界の中を流れていく思考を作り出すこと。大気や水の中に侵入し、世界の血流となって流れゆく精神へと変身できるような思考のイマージュを作り出すこと。そのために物質の構造を使用すること。
主客一体の思考とはそういう思考の身振りのもとにやってくる。固定された観点から世界を超越的に眺望するのではなく、観察それ自体が位置を絶えず変化させながら、世界の内部性の中を縦横無尽に流れていくのだ。その駆動力が対称性の拡張。だから、これはある種のダンスなのだ。もちろん、君と僕との。
再認のシステムに固く縛られた同一性の思考世界を別に否定する必要はない。それはそれで傍に置いておけばいい。問題は精神の流れをイメージする能力を反転認識のもとに作り出すこと。それが生まれてくれば、同一性の世界は自然に力を弱めていく。単なる否定は逆に同一性に捕獲される。否定は要らない。
そういう大いなる肯定の「力」というものを作り出そう。それが「流れを再開させる」ということの意味なのだろうだから。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: 量子論