アフターコロナの時代にやってくる世界

OCOT情報を素直に信じるなら、人類はあと20年そこそこで劇的な変化を遂げていくそうな。その変化は「入神」という言葉で表現されていて少し宗教っぽく響くのだけど、その意味は意識の方向性がすべて精神の方向へ向く、といったような意味。物質をすべて精神として見始めるということだろう。
 
これは裏を返せば物質概念の消失を意味している。世界を対象として見なす意識が消え去っていくということだ。科学主義全盛の今の世の中から見れば、なかなか信じ難い話だが、しかし、そのプロセスは着実に進んでいくと言っていた。
 
まぁ、常識的に考えるなら、アフターコロナの時代はIT技術を背景にしたハイパーパノプティコン型の社会の到来を予想するのが順当だろうね。しかし、それでは人間は滅ぶよ。だから、この予想は見事に裏切られるはず(と思ってる)。だからヌーソロジーをやってるのだけどね。
 
「入神」のイメージはハイデガーがいう「世界の開け」に近い。これは、隠れていたものが露わになるといったような意味だ。物質(存在者)はその現れ自体によって精神(存在)を隠蔽しているのだが、その隠蔽も存在が行っている。しかし、存在は必然的に転回し、この隠蔽を解除する。
 
まるでOCOT情報だ(笑)。人間は今や存在忘却どころか、存在忌避にまで至ったと確かハイデガーは語っていた。存在忌避というのは、存在者を存在ではなく存在者によって根拠づけること。早い話、「物質は物質から生まれた」とする科学主義が持った奇妙なトートロジーだ。
  
OCOT風に言うなら、付帯質的統制というやつ。しかし、危機のあるところ救いもまた育つ(ヘルダーリン)——とハイデガーも言うように、今や、科学は物質を根拠づけているものがもはや物質ではないということを熟知している。だからこそ、そこ(素粒子)を開け——とOCOT情報は言うわけだ。ヌーソロジーはそれだけをバカ正直にやり続けてる。
  
物質はもはや物質概念を受けつけてはいない。それでも尚、人間が物質に対して物質概念で臨むのであれば、存在は人間を拒絶していくことになるだろう。そこに出現してくるのがOCOT情報が「スマル」と呼んでいるもののことだ。

入神VSスマル。。。

このコロナをめぐる喧騒も、そうした存在をめぐる意識戦争の開始の合図なのかもしれない。