導火線に火をつけろ!!

ヌーソロジーでいう4次元性とは観察次元のことを言う。たとえば、目の前で3次元の球体をグルグルといろんな方向に回したとき、そこでは3次元の回転が起こっているわけだけど、その回転を見ている視線は回っていない。それが4次元性だということ。
今の私たちは、空間に浸透しているこうした観察次元の存在をすっかり忘れてしまっている。観察の視線も3次元の中にあると思い込んでいるから、認識が3次元から出られない。ただそれだけのこと。

観察次元としての空間とは持続のことでもある。つまりヌーソロジーがいう”精神”のことだ。だから、空間の中に精神を見出したなら、必然的に空間は内在性へと裏返る。そこにおいて存在が開くのだ。ちっとも難しい話じゃない。当たり前の話をしている。
当然、そこに現れる物も、今まで3次元で対象として見ていた涸っからの物ではなく、4次元の瑞々しさをたっぷりと含んだ物へと変貌する。もはや物は存在者ではなく、”存在する存在者”へと変態を起こすわけだ。主客一致の認識がそこから立ち上がってくるということだ。

永遠の相の下で物を見ること——こうした認識はスピノザのいう第三種の認識に対応している。彼のいう能産的自然の認識だ。この認識はヌース(能動知性)によって生まれる。生成のための思考を供給していく力のことである。

能動知性の目覚めは、内在の中に眠っていた本来的自己の目覚めと言い換えてもいいだろう。一度目覚めると彼の力はもう3次元の知では止めることはできない。言わば、プネウマの発火のような事件だからね。大いなる息となって物質を内側から本来的自己のフロー(霊流)へと変容させていく。

たぶんこれは存在史的必然だからもう止まらんよ。今から、4次元のあちこちで、この発火が起こってくるんじゃなかろうか。それもすごいスピードでね。ヌーソロジーも執拗にゲリラ戦を続行して行きます。