ネクラとネアカの相互反転

今日は仕事を終えた後、二人の甥っ子であるD&Wブラザーズを引き連れて「やまなか」という店に行った。
Dは大学が休みで博多に久々の帰郷、Wの方は高校卒業、それぞれのお祝いをかねての男3人のパーティーである。「やまなか」は古い家屋の内部をコテッジ風に改装して、「都市の中の隠れ家風」を狙った瀟洒なイタリアンレストランである。会社から歩いて5分ぐらいのところに、こうした店ができるのは大変ありがたい。結構、気にいっていて、会社での接待なんかにもときどき利用させてもらっている場所だ。

 店に入ると、さっそく、コルトレーンのアルバム「Ballads」がお出迎え。おっ、いい趣味してるじゃん。このアルバムは高校生の頃に隠れて通っていたジャズ喫茶でいつもリクエストしてたっけ。とくにA面1曲目の「Say it」は最高。彼女を自分の部屋に呼んで口説きたい人にはオススメの一曲。あまりに官能的なサックスの音で体がとろけそうになる。コルトレーンはこういう甘いメロを吹かせても絶品!! まっ、とろける音楽については、いずれ別のところでヤルことにして、この甥っ子兄弟、若いのになかなかおもろい連中である。兄のDは建築家志望、弟のWはマルチアーティスト志望。ともにまともな就職などする気なんぞはなからない。働くことを人生の価値などにおいていない。いいねぇ〜。10〜20代の若者はこうでなくっちゃ。わしなんて30代に入ってもそうだったんだから。。 連中は、たまにわたしの自宅に遊びにきては、文学のこと、映画のこと、音楽のこと、ヌースのこと、その他もろもろ、とにかく、硬軟問わず、カルチャー全般について何の脈絡もなくダベっては帰って行くのだが、今日も、例によって、連中とのサブカル談義に話が弾んだ。

 Dは21歳、Wは18歳ぐらいだと思うが(実は正確な年を知らない……いや、年など聞いた事がない)、二人とも同年代に話が合う友人がいないと言う。それは無理もない。Dは大学で建築を学び、ハイデガーが好きだといい、D・リベスキンドというたぶんほとんどの人が知らないような建築家の話を、あたかも憧れのロックスターについて語るかのように熱弁する。一方、Wの方は音楽学校でコンピュータ・ミュージックをシコシコ学んでいるのだが、彼の夢は柳田国男のような民俗学研究をやりながらRadioheadのようなバンドを作ることらしい(一体、なんだこいつは?)。確かに、話が合うわけがねぇーだろーなぁー。これは単に想像の域を出ないが、友人サイドから言えば、甥っ子たちは、いわゆる「暗れぇー奴」と呼ばれる種族に当たるのかもしれない。しかし、わたしには、こやつらがネクラな悲観主義者なんぞには全く見えない。それぞれに自分の闇を直視し、それを糧として、何か創造的なことをやろうとりっぱに自主独立をたくらんでいる。ネクラどころか、自分のやりたいことがそれなりに見定められているだけにむしろネアカな連中じゃないか。毎日、カラオケに合コン三昧、服と食い物とスポーツにしか興味がないアホガキどもの方がよっぽどネクラだ。あー、オレって、なんて、いい伯父さんなんだろ。じ〜ん。

 オウム事件以降、若者が精神的な価値についてあからさまに語ることは半ばタブーになった。ヌースのレクチャーにくる人たちもこぼしていたが、神や人間について語れる場所がどこにもなくなってきた、というのである。おそらく、彼ら、彼女らも世間一般では「ネクラ」と呼ばれる人種に当たるのかもしれない。その傾向は、携帯電話の世の中になってますますエスカレートしてきている。スリムな情報、コンパクトな情報、インスタントな情報、というように、情報自体のフラグメント化があちこちで起きてきているからだ。検索システムで一体何が分かるというのか。人生の目的や、人間の価値や、自分の幸福などといったカテゴリーはどこを検索したって見つかりやしない。もっと、若い連中が魂や霊性について、面白く、堂々と語り合える生(なま)の場所が必要だ。——皆、心の中は愛でいっぱいなのに、それを吐き出せる場所がどこにもない。こういう、対話の場所をたくさん持ってあげないと。。。——と思いつつ、こいつら何でも食え、といったら、本当に、食いたいだけ食いやがっちまったぜ。何い〜、1万7000円だとぉ〜!!!