不惑

 今日は、昼間、会社へ出張中の報告をしたあと、早々と退社。現在、自宅に戻ってヌースレクチャーの次回シリーズのためのテキスト製作に時間を割いている。

ヌースレクチャーの歴史は長い。わたしの記憶が正しければ、それは1993年から始まったはずだ。途中、「シリウス革命」の執筆のために1年間休み、2004年もまるまる1年休んだので、総計すると、延べ9年もの間続けていることになる。

 9年もやっているのに、どうしてヌース理論が広まらないか。それは簡単である。わたしが言うのも変だが、理論の内容が常に変化していくからだ。その変化に、聞き手がついていけない。——何だ、半田、この前と言ってることが違うじゃないか。この理論はデタラメだ。やめた、やめた、ほな、さいなら。という状況が頻繁に起こるのだ。しかし、これはわたしが優柔不断だからというわけではない。ヌース理論の成立に「シリウスファイル」という例のチャネリング文書が関わっているからである。

 ヌース理論は周知の通り、チャネリング文書との格闘の末、この世に出て来たものだ。過去に上梓した著書にも書いているが、この解読作業は血ヘドを吐くくらいに辛いものだった。あくまでも想像にすぎないが、それは古代文字の解読以上の難業だったと言っていいかもしれない。なんせ欠落部分が多すぎるのである。その欠落を補おうとしてOCOTに情報を求めても返答は返ってはこない。結果、あとは自分のオリジナルな思考力、想像力で埋めるしかなくなる。しかし、しばらく経って、理論全体の解像度が増してくると、自分で補っていたつもりの部分が決定的なミスを起こしていることに気づく。ここで自分の考え方に固執していると、もう理論構成自体がにっちもさっちも前に進まなくなってしまう。だから、仕方なしに自説は白紙撤回。一から思考を練り直す。。。「すみません。前回の説明は間違っていました。」こういうことが何度も繰り返される。こうしたことを十数年続けてきた結果、現在のヌース理論があるということだ。

 ならば、どうして、完成もしないうちに、ヌースレクチャーなどというものを始めたのか。それも答えは簡単である。シリウスファイルを解読していくためのモティベーションが必要だったからだ。専門の学者でもない自分の拙い話にこうして多くの人が耳を傾けてくれる。それに何よりも多くの人が世界を刷新する新しい思考体系を求めている。その気持ちに後押しされて、次のレクチャーまでにさらに解読をすすめる。間違いが見つかる。再度練り直し。again and again and again…。そうした反復作業があってこそヌース理論はここまでシンプルありながら、様々なジャンルを横断できるトランスクリティーク的な思考装置に育つことができたのだと思う。もちろん、レクチャーは経費の都合などもあり有料でやってきた。過去のレクチャー参加者には本当に感謝以外の何ものでもない。正直、彼らがいなければ今のヌース理論は存在していなかっただろう。所詮、一人でできることなど世の中には何一つないのだ。だから、ヌース理論に著作権などあってはならない。

 現在、製作中のレクチャーブックは今後10年は使えるものにしたい。その欲望のために今までの本のようにスラスラと筆が運ばない、というか、キータッチが進まないというのが正直なところだ。過去十数年の思いを込めて、これがヌース理論だ!という本を何とか完成させたいのである。そろそろ、そういう時期に入っている。もちろん、細かい点で、まだ、多くの不備は残されてはいるが、理論の骨格はもう変更されることはない。1989年11月11日生まれ、ヌース理論17歳。早くも不惑の年である。