否定的種子

 えび茶色のビロード地のうえに白い斑点がポツポツと見える。これは何なのだろう。そこからはいつも暖かい臭いが漂ってくる。いや、臭いじゃない。何か心地のよい響きを持ったもの………声だ。ふわふわとした綿菓子のような声だ。ゆらゆらと揺れる斑点に合わせて、もわんもわんと、暖かい声が漂っている——。何を隠そう、これはわたしが思い出せる範囲内での最初の記憶である。えび茶のビロードに白い斑点…、当然、後になって知ったことだが、これは2歳のわたしをおんぶするために母親が使っていた子守帯(おんぶひも)の絵柄だった。言うまでもないことだが、わたしが最初に記憶したものは、このわたしではなく、えび茶と白の斑点だったのだ。

 そのときそれ以外のすべての世界はいまだ目覚めぬ微睡みの靄の中にあった。他の記憶を辿ろうにも記憶はない。像の記憶も、音の記憶も、臭いの記憶も。それらはすべて肯定されていたのだろうか。肯定は存在を無に帰す。その意味では、わたしとはその大いなる肯定の中からこぼれ落ちてきた、ささやかな否定の種子である。

 雨ににじんだ水彩画のように心もとないまだら模様の輪郭で縁取られた世界の原風景。世界はゆっくりと、ゆっくりと、どこからやってくるとも分からない力によって凝結し始める。世界の凝固とともに、わたしという種子もまたその輪郭を浮き上がらせてくる。わたしの起源が世界にあるということ、それは当たり前のこと。大いなる肯定の流れの前で軽いチック症にかかっているのがわたしなのだ。一瞬の瞬きが瞬きとして意識され、唇を走る痙攣がかすかに頬を震わすのを感じる。否定の種子の発芽はこうしてやってくる。

 世界の起源は今は問うまい。ただ、わたしは、世界とともにここに出現し、世界とともにここから立ち去って行く。わたしは世界の後に何かを目撃することになるのだろうが、それを目撃したときには、すでにわたしではないものになっているのだろう。だから、わたしがわたしでいるこのほんの束の間の宇宙的な種子の時間を精一杯生きたいと思う。わたしでないと経験できないものがこの世界にはいっぱいある。それはあなたにとっても同じだ。あなたでなければ経験できないもの、それをあなたは経験している。

 良い感情の流れ、悪い感情の流れ、不安や恐怖で淀むときもあれば、意味付けされない情動がただ激流のように流れ去っていくこともある。流れていくものの中に確かなものなど何一つない。わたしはやっぱり種子なのだ。

 日々、死して蘇る——種子である間は、そんな人生を送りたい。