神の撤退

ドゥルーズはモナドを神の逆数として定義している。すなわち神が∞であるなら、モナドは1/∞であると。時空という場の同一性はこの神の∞に由来し、自我の思考もまたこの∞に付き添っている。宇宙は巨大なもの、時間は無限等etc……。
 
言うなれば、神の創造の惰性のままに人間はより大きな財、より永き寿命、より巨大な権力、より強大な国家というように、マクロを志向するクセをもたされているというわけだ。
 
「創造の原初には悪が混じっていた」といた考えるのがルーリアカバラだが、自分自身を神と見間違えたこの自我が持った「より大きな、より永き」への志向性。今やこの志向性は「悪」と呼べるところまで育ってしまったのではないか。おそらく、この「悪」を払いのけるために神は世界から撤退する。
 
神の世界からの撤退——それがルーリアカバラの革新性でもあった。そしてこの撤退はツィムツーム(収縮)と称される。つまり、神は∞から、その逆数1/∞へとモナド化を決行するのだ。この神の身振りが「幅で支配された世界から、奥行きの世界への反転」にリンクしている。世界は今、再び、その局面へと入ろうとしている。
 
時間と空間という幅で支配された世界に物質は出現しているかのように見えるが、この出現は仮面であって、その背後には何もない。その背後には無以外の何物もない。物質の原理はすべて神の収縮の中に隠されている。だから、いま、ここに、神と共に収縮を試みること。
 
それが、世界を時空ではなく、複素2次元空間として見るということの意味合いででもあるだろう。

ルーリアカバラ