ミクロとマクロの狭間で

「わたしたちの意識は知覚を通して素粒子世界に巻き込まれていっている。ちょうど、お風呂の栓を抜いたときに、渦ができてお湯が排水溝の中に巻き込まれていくように、目の前の知覚空間は持続の渦となって時空の外部である内部空間の方向に吸い込まれていっている」
 
分かりやすく喩えると、これが顕在化が始まったときに生まれてくる目前の空間イメージになる。
 
このことに関して、数学に強いΦさんとツイッターで簡単な意見交換をした。物理学と哲学をどう接合させるかという問題についての話なので、言葉は難しいが、結局のところミクロとマクロは一体どういう関係になっているのか、という話だと思ってくれればいい。 
  
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@kohsen  外延量を基礎づけるものとしての微分化領域。それが知覚の場に他ならない。世界はいつもめまぐるしく動いているが、「わたし」は動いていない。この動いていない「わたし」こそが微分化領域に住まう霊である。世界の重心をミクロ世界へと移動させるときがやってきている。
 
@whyanywhere そうですね。単なる数の延長としての波動関数(正確には場の関数)に作用する、微分演算子を含むq-数としての物理量こそ、まさしく観測可能量(オブザーバブル)であり、知覚の場なのだと思います。ある意味、内包量としての波動関数(場の関数)はそれだけでは閉じることができず、外延量に転換できる演算子という観察の作用を受けて、初めて世界を閉じることができるのかもしれませんね。
 
@kohsen Φさん、この内包→延長の問題は哲学では、ライプニッツを始まりとして、カント→コーヘン→ドゥルーズと受け継がれている問題系なのですが、ドゥルーズは微分を実関数でしか語っていません。実関数の微分が内包量に行き着くことは直観的に「?」なのですが、Φさんはどう?
 
@whyanywhere  複素関数(あるいは超複素数の関数)ではなく実関数の微分だと、量子化という概念を数学的にうまく組み立てられないのではないでしょうか?
 
@kohsen ありがとうございます。ドゥルージアンはドゥルーズ哲学の自然哲学へのリンクを盤石なものとするためにも、この微分化の問題についてもっと突っ込んだ議論をしていかないといけないのでしょうね。
  
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ドゥルーズの物質論にとって微分化の概念は命綱になっている。物理学者ソーカルらに叩かれたのも、ドゥルーズが『差異と反復』で示した差異化=微分化論が数学的に極めて曖昧な論述になっていたためだ。差異化=内包化は数学的形式としては複素数と関わっている。その現象化が素粒子だと考えるといい。ここはドゥルーズ哲学の命綱だ。
 
微分というと、僕らは無限にミクロの世界のこととして考えてしまいがちだが、おそらく、反転認識においては、微分と積分のイメージも逆になっていると考えないといけないのかもしれない。ドゥルーズのいう差異化=微分化とは実のところ、経路積分のような「積分」として捉えられるべきであり、潜在的なものの現象化である「繰り広げ」の方が波動関数の「微分」として表現されているのかもしれない。実際、量子力学では運動量やエネルギーといった物理量は波動関数の空間微分や時間微分によって導出されてくる。素粒子世界から見れば、時空世界の方がミクロなのである。
 
そう言えば、OCOTも言っていたっけな。「時空は、わたしたちにとっては最もミクロの世界なのです」と(笑)
 
「時空の中に落ちた意識はミクロすぎて見えません」「宇宙について考えるときは、あまり意識をあなたがたにとってのマクロ方向に向けないようにして下さい。位置が見えなくなります。」etc。空間の幅を広げれば広げるほど、逆に奥行きの力は薄まっていく。というわけだ(笑)。真のマクロ宇宙はこころの方向にあるということだよ。
 
NASAがどのような発表をしようが、「宇宙には太陽系しかない」というヌーソロジーの考え方は変わらない。恒星は太陽の仲間というよりも、太陽が高次に反転を行なっているものである。言って見れば、エーテル核とアストラル核の関係にあるもの。無数の銀河は恒星がさらなる反転を行なっている方向。
 
宇宙空間は現代科学が考えているような均質で平板的でのっぽらぼうな延長のようなものでは決してない。そこには無数の次元が折重なっている。科学の眼にはそれが見えてないから、奇妙なアウタースペース信仰がまかり通っている。科学的宇宙観にダマされてはダメだよ。天体群の本質もまたわたしたちの内的なものを支えている精神の活動の映し絵なのだ。

無数の銀河