絶対的中心

「存在」それ自身はどのようにして分化=異化し、存在者となるのか。これは言葉を変えれば、非局所としての精神はいかにして物質として局所化するのか、とも言い換えていいだろう。ドゥルーズはこれを”魔神の跳躍”と呼んだ。
 
ドゥルーズの表現を借りればそれは次のようなものだ。―遊牧的(ノマド)な配分が、表象=再現前化の定住的な諸構造の中に忍び込ませる壊乱的なトラブル―そう、魔神は神々の作業の隙間に入り込み、生成の秩序をごたまぜにし、人間の思考に催眠術をかけるのだ。
 
現在、科学者たちがイメージしている物質的宇宙観(ビッグバン理論や進化論)はその意味で言うなら、この魔神の意のままに操られた夢遊病者が見ている夢のようなものと言っていいだろう。
 
垂直的な世界が水平的な世界へとごたまぜになって影を作り出す。わたしたちの精神の起源が存在する世界と時空に散在する物質世界はまさにそのような関係にある。
 
星と血液は鉄の精神によって結ばれている。太陽と植物はマグネシウムの精神によって結ばれている。DNAと言語はリンの精神によって結ばれている。こうした結びの風景の中に立ち入らせないようにしているのが魔神が作り出している直線的な跳躍なのだ。
 
わたしたちは空間に一つの絶対的中心を見出さなくてはならない。そして、その中心において思考されているものを見出さなくてはならない。存在はその中心から成長していく多層な球としてその内部に高次の幾何学を張り巡らしている。
 
神々の空間への侵入は、この絶対的中心の発見から開始されるのだ。
 
※下写真はトーラス氏が展開しているBABYMENBOTALよりお借りしました。

絶対的中心