女の物質(エヴァ)と男の物質(リリト)

他者の前方向というのは、自己にとっては後ろ方向のようなもの。だから、皆んなが大地に立って地球を見るとき、皆んなの視線に合わせて自分が前に地球を見ちゃうと、それは後ろで地球を見ちゃうことに同じ。それは物質の地球。そんな地球なんてものは本当は存在しちゃいない。
 
自然科学が見ている地球というのはその意味では幻想と言っていいんじゃなかろうか。本当の前に見えている地球というのは物質じゃなくて精神体。この精神体と共に生きているのがほんとうの人間。僕らの肉体を作っているほんとうの人間。
 
人間が科学的に合成した人工的な物質と自然界にもとから存在する物質はその意味で存在している空間が全く逆のところにある。科学は後ろの目しか持たないからそのことに気づかない。女の物質(エヴァ)と男の物質(リリト-敢えてそう呼んでみる)の違いとはそういうもの。
 
女の物質はおそらく表面しか持っていない。形に色、味と香り。そして音色たち。しかし、女の物質の衣服を脱がしてその隠された裸体をどうしても見たいと思った男たちの欲望は物質を逆さまの目で覗いていく。そこで「どうしても見たいのなら、どうぞ」と奥へ奥へと誘惑しているのは髑髏だとも知らずに。
 
もちろん物質科学が全面的に悪だと主張する気はない。物質は本来、外部と内部から同時に見られるべきものだということだ。これからの科学が世界を豊穣なものとするか、それとも廃墟へと変えるかは、科学自身が物質というものが持つこの両極性を自覚できるかできないかに懸かっているように思う。

※下写真はhttps://s-media-cache-ak0.pinimg.comからお借りしました。

エヴァとリリト