精神の起源

霊が時空に影を落とすと、そこには必然的に回転が現れる。このことだけは頭に入れておいた方がいい。言い換えれば、自然界の中で回転として現れている運動はすべて霊の被膜だということ。単なる物理的運動として考えないこと。
 
1日、1月、1年は言うまでもなく、プラトン年であれ、それは霊の時空における顕現である。霊とは人間の意識には時間として認識されているもののことなのだ。直線的時間は霊の屍体と言っていい。時間の中に生きていると考えてはいけない。君自身が時間なのだ。
 
直線的時間(クロノス)を流れない時間(アイオーン)へと変換して空間化させている位置が「奥行き」だと考えるといい。空間化した時間は射影的性質を持っており、それはそのまま収縮したものとして時空の中に表現されてくる。それが素粒子だ。物質と精神の接続はそのようにして為されている。
 
このルートが見えてきて初めてわたしたちは物質を内部から見ることができるようになってくる。流れない時間としての持続が空間として組織化されていっている場所があるということだ。外側から見る物質ではなく、内側から見る物質。その方向に存在自体を反転させ、そこに宇宙を見ること。
 
この視力が育ってくることによって、わたしたちは人間と神という最も巨大な対称性に気づき始める。神を崇めるのでもなく、人間を蔑むのでもなく、全き等価性としての創造者と被造物が持った一つの回転対称性。その対称性こそがわたしたちの精神の起源である。

回転