4月 13 2017
NC-cube完売いたしました。深謝。
おかげさまで、昨日NC-cubeの初回生産分が完売いたしました。ご購入いただいた皆様には心より御礼申し上げます。尚、第2回目の生産ロットの仕上がりは5月中旬あたりを予定しています。
科学者は「意識は波動」なんて言うと、トンデモと嘲笑する人が多いが、素粒子の数学的表現となっている波動関数というのは、内包的精神が外延的時空の中で数式として表現されたものにすぎない。幾何学的イメージとしては、円が接線(空間や時間)を転がっている様子が波動として記述されているわけだが、実際は逆で、円の方が直線に開かれているのだ。
ここでいう円とは内在の領域であり、接線としての直線(時空としては双曲線)の方が外在の領域を意味している。
時空上に無数に埋め尽くされているかのように見える素粒子(量子場)とは本来、すべて同じ位置にあるのだ。それが非局所と言ってるものだと思えばいい。
群で言うとそれらの基盤はそれぞれSU(2)とSL(2.C)にある。NC-cubeの設計コンセプトは人間の意識を外在へと開かせた力を内在へと反転させるには電子にどんな動きを取らせればいいか、という発想から生まれている。
現時点で、これを技術と呼ぶにはもちろんまだ憚られるが、電子を物質的(局所的)に応用するのではなく、空間的(非局所的)に利用するという意味で、僕自身はこうしたコンセプトのもとに生み出されてくる物心一体のテクネーを、物質科学に対して「空間科学」と名付けている。
空間科学はおそらく、素粒子のシステムの全体性を電子を通してトポロジカルに操作する、という形式を持って発展していくはずだ。これは物質的なところまで貶められた電子を、電子本来の位置にまで戻していく、という意味でもある。ヌーソロジーの文脈では、それは人間の無意識の覚醒とほぼ同等の意味を持っている。
今ではプラトンがいう「イデア」をまともに考えようとする人などほとんどいなくなってしまったが、幾何学とは本来、非局所的なものだ。その意味で幾何学とは精神(持続空間)自体の生態と言ってもいい。人間の意識もその精神の生態の一部として活動していて、そこでの幾何学的背景を持って脈動している。それがプラトン立体というものだと考えるといい。
永遠が駆動するその世界風景を単に空理、空論、空想の世界で終わらせるのではなく、物理学と哲学とを融合させる空間思考の力によって、わたしたちの内的リアルとして蘇らせることが、これからの人間の文明が進むべき方向だと確信している。
状況は圧倒的に、悲劇的、喜劇的と言っていいくらい劣勢なんだけど、「奥行き」を槍代わりにして、ドン・キホーテの精神を携えて、巨大な風車に突っ込むべ。「てめぇーの回り方は逆だろうがぁ〜!!」と絶叫しながらね(笑)。
高価なものにもかかわらず、ご購入していただいた皆様に重ねて心から御礼申し上げます。
6月 26 2017
原子力時代に止めを刺そう!!
素粒子と時空の関係を比喩として表現するとこんな感じ(下写真上)。直線の上を転がっていると見ているのが外延としての物質意識(時空並進)。直線を巻き込んでいると見るのが内包としての持続意識。前者は動くけど、後者は不動。巻尺中心から転がりを見たときが波動。そんな感じだね。
波動関数ψを位置や時間で微分するというのは、円の中のグルグル巻きをこうして直線として引っ張り出すという意味。回転の角度を直線的空間や直線的時間に翻訳するということだね。
ちなみに位置xで微分すると運動量pxというのが出てきて、時間tで微分するとエネルギーEというのが出てくる。空間をどれだけ進んだか、時間がどれだけ進んだか、ということ。
このイメージからすると、目の前で流れていくように感じられている時間は本当は自分の周囲にグルグルと巻きついている。そして、その巻きつき円を昨日の話のように反転させると、時間は目の前の一点で停止し、そこにすべての時間が固定されてある、というイメージが生まれてくる。それが持続中心。
モナド(精神実体)としての原点だよ。
これは、過去が実在として保存されている場所の原点と言っていいね。それが物質粒子(おそらくuクォーク、上次元ではニュートリノ)の本性。
この対応からすれば、時間が自分の周りをグルグル取り巻いている円の方がdクォーク(上次元では電子)ということになるね。
こうした関係が見えていないとき、つまり、時空認識が先行しているときは自分を取り巻いている円は電磁場(電磁ポテンシャル)になっている。
そして、この電磁ポテンシャルが目の前の瞬間と持続中心を一致させようと常に働いている。移りゆく瞬間と永遠を常に繋ぎ合せようとしているんだね。
つまり、記憶は光が運んでいると言えるのかもしれない。局所と非局所をつなぐ橋になっているんだね。それが物理学として表現されたものが局所的U(1)ゲージ変換というやつだと思う。モナドの回転(時空並進)が常に現在でも感じ取られるようにしている機構。
で、精神はそこから他者の知覚領域、自己と他者のそれが合一した領域、そして、自己や他者というものを本来成り立たせている領域へと持続の軸を増やしていく。それがSU(2)→SU(3)→SU(4)というように複素空間の回転次元を上げていく様子として表現されている。でも、同時に、それらは必ず瞬間としての現在と応答し合っている。
これが物理学が局所的ゲージ対称性と呼んでいるものの本質だと考えてる。ここまで話せば、素粒子が無意識の構造というのが、それほどトンデモ話とは聞こえなくなってきたんじゃなかろうか。物理学がこっちの方向に向かえば、僕らの宇宙観はあっという間に内在方向に移動を開始するんだけどね。
数学的裏付けがまだまだ不十分なので、頑張って勉強しなくちゃいけないけど、素粒子とは何かという究極の設問は、いずれにしろ、素粒子とは誰か、という設問に変わっていくと思うよ。そうなったとき、ようやく原子力時代は「なんじゃ、こりゃあ~!!?」と言って、断末魔の雄叫びを上げながら息絶え、物質は我に帰ることができる。
※下写真下は川瀬氏の作品です。ここ最近で一番笑った写真(笑)
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: SU(2), クォーク, モナド, 波動関数, 素粒子