5月 3 2025
垂質の幾何学的構造について
「X」でのN氏の質問で3次元球面の話題が出てきたので、もう一度、ヌーソロジーが描像している3次元球面のイメージ図をUPしておきます。この図はNCの真ん中の球空間である「垂質=ψ5」のカタチに当たります。
球面上の大円が一回捻りのメビウスの帯になっているところがミソですね。これは対象の内部と外部を等化している意味を持っていて、この空間では主客の分離が存在しません。
物理学的にはuクォークのスピンが変換されているSU(2)の形に対応しています。その本質的意味は、観測者Sの周囲の主観空間を反転させたものと言えます。
この反転によって、主観が見ている様々な対象の位置はすべて原点Oに重なっていることが分かってきます(非局所)。持続空間なんで当たり前ですね。
この図における対極点SとS*が自己と他者の位置関係になります。
あなたの魂の形ですよ。
8月 15 2025
カタカムナ人に畏敬の念を込めて
古代の叡智に触れると、ただただ深く頭を垂れざるを得ない瞬間が多々あるのだが、カタカムナ人たちの世界観もまたその一つと言っていい。
「アメ」に漂う無限の場から、球の霊「マリ」が生まれ、 それが「イマタチ」として瞬間の中に立ち上がる——
この言葉だけで、ヌーソロジーが長い時間をを経てようやく辿り着いた、持続と瞬間の二重構造や、自己と他者の反転などが、超古代の心の中にも透徹していたのだなと思わせる。
「ヒトツカタ」は、まるでヘキサチューブルのように世界を重ねていて、「タバネタチ」「マトマリタチ」は、観察子群の生成秩序とピタリと重なり合い、内的宇宙の多重な襞化の運動を前景化する。
まさにカタカムナは、現代物理学がスピン群やSU(2)で記述している内部対称性を、超古代の言葉として、そのまま謳い上げているかのようだ。
ヌーソロジーが解き明かそうとする宇宙像は、実のところ、カタカムナのウタヒの中で、すでに生き生きと歌われている。
ヒフミヨイムナヤコト、アウノスヘ、マワリテメクル── これは単なる50音の羅列ではなく、量子状態が時間と空間として立ち上がっていく瞬間の呼吸音であり、宇宙が自己自身を想起していく鼓動音でもあるのだ。
私たちの歴史は、現象世界の旅路を経て、ようやく超古代が見ていた別の歴史の入口に立ち始めたのだろう。
カタカムナ人たちの視線は、決して過去に置かれたものではなく、未来のわれわれに向けられた、時を超えたところからの呼びかけなのである。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: SU(2), カタカムナ, ヘキサチューブル