12月 5 2018
オコツト情報原文botに触れて
@ocotsource_bot
―モノにも意識があるとおっしゃいましたが、それは反対の意識という意味ではないのですね。
「全く違います。」
―では、モノと反対はどのように関係しているのですか。
「それを今から作らなければならないのです。」
19901005
20:07 – 2018年9月11日
以前ネットに上げていたOCOT情報の記録を誰かがダウンロードしてbotで流している。ヌーソロジー以上に抽象度が高いから、皆んな、頭を掻きむしりたくなるかもね。それにしても、今見ると、ほんと奥深いことばかり言ってる。こんなもの、よく解読する気になったものだ。自分を褒めてあげたいね(笑)
モノにもある意識―それは、哲学でいう物自体のことだ。人間は物自体に方向付けらけているからこそ、人間として在ることができる。その連結を保っているのが人間の反対の意識の領域だ。その反対の意識を意識に上げていくこと。そのとき、反対はモノと一致していく。それを今から作らなくてはいけない。
まぁ、それを30年近くやってきたんだけど、まだまだだね。
ヌースアカデメイアのメルマガに寄せられる質問に一つ一つ答えていっているのだけど、今回はたまたま「個」についての質問だった。この「個」の本質がモノと一致していく反対と深く関係している。自己と他者は本来、どういう関係でイメージされるべきなのか。
人間の個とは何のために存在しているのか。また、自己と他者は本来、どういう関係でイメージされるべきなのか。このへんは、多分、ヌーソロジーの真骨頂になっていくじゃないかね。
メルマガではカントの話を少ししたんだけど、今の世の中はカント的常識人が多すぎないかね。それが悪いとは思わないけど、この息苦しい近代を終わらせるためにはカントを超えないと。これは時間と空間を超えた場所に人間の居場所を移動させることと同じ。付帯質の外面から付帯質の内面への移動。
OCOT情報が言っている「人間の反対とモノとの一致」も、そこで為されていく。ヌーソロジーが素粒子について執拗に語っているのも、そうしたパースペクティブで未来を見ているから。現在の時間軸上に到来してくる未来じゃなくて、いきなり割り込んでくる純粋未来ってのがあるんだよ。
肉体は仕方ないけど、精神だけは時間に捕まえられてはいけないよ。
捕まってたまるか、の精神で生きないとね。
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12月 19 2018
世界を永遠化するにあたって
生物学的には人間はサルから進化したものと考えられているが、ヌーソロジーでは人間の誕生は時間・空間の発生と同じものとして考える。物理学的に言うなら、ビッグバンが人間の意識の発生そのものを反映していることになるわけだ。
科学的思考では、ありえへんトンデモだ(笑)。しかし、こと意識という観点で考えた場合、時間と空間というものは、カントが言ったように人間の意識が成り立つための絶対条件(感性の直観形式)であり、意識と時間・空間は切り離すことができない。
いつも言ってるように、人間は時間と空間の中で生きているのではなく、時間と空間として生きているということだ。物質で思考するから、あたかも何もかもが時間と空間の中で進行しているかのように見えるが、時間と空間、意識と物質を切り離して考えてはいけない。ほんとうは、すべてが連続して繋がっている。
では、ビッグバン以前の世界に何があったか―その世界こそが人間の起源というものになるのだが、その世界について考えるための一つの仮説として、あのホーキングなんかが提唱した虚時間宇宙論というのがある。
虚時間宇宙とは時間tが虚数化して「it(アイ・ティー)」になった世界のことだ(「i t」はドイツ語では「es」。これが無意識を意味するエスとなるのが面白い)。
これは4次元の対称性が復活した世界と考えるといい。そこでは、時間と空間の区別はない。つまり、シュタイナーがいう時間の空間化が起こるわけだ。
最近は11次元とか、10次元などが流行りだが、この虚時間宇宙を「たかだか4次元」と言って舐めちゃいけない。数学的には4次元空間というのは無限の微分構造を持っているとされている。そういう次元は4次元だけだ。ハイデガー風にいうなら、この世界は「無底」だということ。おそらく、この無底性の中に存在そのものの本性が隠されている。ヌーソロジーではこの無底の空間のことを「元止揚空間」と呼んでいる。
自然界の万物は、この無底世界におけるヌースの流動が、時間と空間の発生とともに射影されたものではないかと思われる。そこにおいては、時間と空間の発生も結果でしかない。いや、もっと言うなら、一つのプロセスにすぎない。
この無底の世界に人間の思考が侵入を開始する時期が来ているように思える。そして、この転回もまた存在における一つのプロセスだと言えよう。その意味で言うなら、ヌーソロジーがいう調整期と覚醒期という概念は、この無底なる存在における呼気と吸気のようなものなのだ。
この地平で思考することが、世界の永遠化の条件と言える。この反復が考慮されなければ、自然の何たるかは決して理解することはできない。似た立ち位置で自然を思考している哲学はハイデガーとドゥルーズぐらい。特にハイデガーは『寄与論考』の238~242でこうした存在のビジョンを端的にまとめている。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 1 • Tags: カント, シュタイナー, ハイデガー, ビッグバン